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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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カテゴリ:音楽CD、ライブ、映画紹介( 236 )

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその33●『メイド・イン・イングランド』Made In England(1995年)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその33●『メイド・イン・イングランド』Made In England(1995年)_b0177242_10541939.jpg
95年3月発売。元気そうなエルトンがにっこり笑う3年ぶりのソロアルバムで、プロデュースはエルトン自身とグレッグ・ペニー。全英3位、全米13位。
 タイトルトラック以外はすべて曲のタイトルが一語のように、シンプルなサウンドになっている。参加ミュージシャンもいつものツアーメンバーが中心。
 オーケストラが使われており、4曲でポール・バックマスター、1曲のみジョージ・マーティンが編曲を行っている。

  聴いて明らかに分かるのは、しばらく続いていた打ち込みサウンドを排し、バンドによるシンプルなサウンドを目指していること。
 80年代後半から、アレンジがすでに出来上がったところでエルトンは音を入れだけになりつつあったようだが、このアルバムでは再びバンドサウンドに戻っている。電子音も最小にとどめ、代わりに初期のようにストリングスを使っている。
 リハビリから5年、『ザ・ワン』以来、エルトンの調子は完全に戻り、アーティストとして70年代、80年代前半に続く、3度目のピークを迎えつつあった。
 このアルバムのためエルトンは20曲あまりを作曲したという。おそらく90年代のベストで、僕の好きなアルバムだ。

1stシングルはアルバムに先行して95年2月に発売された「ビリーヴ」(カップリングは「悲しみのバラード」と「ザ・ワン」のライブ)。アルバムの1曲目を飾るバラードで、全米13位、全英15位のヒットになった。

2ndシングルは5月発売の「メイド・イン・イングランド 」(カップリングは「真夜中を突っ走れ」と「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」のライブ)で、全米52位、全英18位。本作の中では明るく軽快なロックナンバーで、英国で生まれ育った自分を歌っている。歌詞の中にリトル・リチャードやエルヴィス(テュペロで暗喩)が登場。かなりいい曲だと思う。

「まだ見ぬ我が子へ~ 」はアメリカのみ12月にシングル発売で最高34位、イギリスでは代わりに「プリーズ 」がシングルになり、こちらは33位。ちなみにカナダでは「ビリーヴ」は1位、「メイド・イン・イングランド」は5位、「まだ見ぬ我が子へ~ 」は3位だ。

1.「ビリーヴ - Believe」前述
2.「メイド・イン・イングランド - Made in England」前述
3.「ハウス - House」ゆったりとした三拍子の曲。エルトンにはよくある曲だが、無理せず作った感じがして耳になじむ。
4.「コールド - Cold」これもバラードだが、いいメロと展開があり、なかなかの佳曲。
5.「 ペイン - Pain」ストーンズ風のsus4を使ったギターリフから始まるロックナンバーでこれも佳曲。
6.「ベルファスト - Belfast」2分に及ぶポール・パックマスターのオーケストレーションから始まるバラード。
7.「ラティテュード - Latitude」この曲だけ編曲をジョージ・マーティンがしている。三連のワルツだが、そのせいかちょっとビートルズ、というかアイリッシュ」風のノスタルジックな優雅な曲に。
8.「プリーズ - Please」イントロの12弦ギターがザ・バーズの「いつまでも若く」ぽい。地味だが心地よいサウンド。
9.「マン - Man」ゆったりとしたバラード
10.「ライズ - Lies」マイナーのミドルテンポ曲。
11.「まだ見ぬ我が子へ~ - Blessed」前述

 95年は前年のレイ・クーパーを伴ったソロツアーの続きから始まり、単独では74年以来3度目の来日公演が2月に行われた。東京の武道館4日公演を含む大阪、福岡、名古屋の8回公演だった。多分、ドラッグ中毒の間は来日できなかったのだろう。
 このころはエルトン、それほど興味なかったので行かなかったが、今から思えば貴重なソロツアーで、まだ声が出ていた頃なので惜しい。セトリの曲目は初期曲中心だが、普段は演奏しない曲も多くありの25曲。

 翌3月は、前年に引き続きビリー・ジョエルとの「フェイス・トゥ・フェイス1995ツアー」でこれは北米のみ11公演で4月まで。その間にこの『メイド・イン・イングランド』のアルバムが発売。
 すぐさま5月からの「メイド・イン・イングランド・ツアー」がヨーロッパから始まる。これは77回。資料によればこの年、TV出演など入れれば、106回のライブをしたことになる。パリではディズニーランドでも公演があり、25曲演奏。うち5曲が新作からの曲だった。8月からは北米ツアーになり、久々にハリウッドボウルでライブ。これにはジョージ・マイケルもゲストで参加した。11月からはツアーは南米に移り、ブラジルでこの年の長いツアーは終了した。


by mahaera | 2020-06-02 10:56 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

自分の音楽の嗜好に影響を与えたレコード10選

自分の音楽の嗜好に影響を与えたレコード10選_b0177242_11043249.jpg
以下はFBに掲載したものの転載です。


イギリス発のタイムラインリレー。自分の音楽の嗜好に影響を与えたレコード10選。10日連続で1日1枚投稿。説明、評価不要。ジャケットだけでOK。というタスクが、バンド仲間の西岡真哉くんからきた。
 とはいえ、現在、僕の知り合いでも何人もこのレコード選びが進行中なので、僕が書くのもなんだかなあと、勝手ながらルール破りで10枚一度に紹介して終わらさせていただきます。
 だってふだんから勝手に、何かしら日常的に紹介しているので、皆さんももういい加減にしろって感じかなと(笑)。

「影響を与えた」というお題なので、愛聴盤とか好きなレコードではなく、自分の音楽活動とか、曲作りに影響したものを選びました。10枚選んだけど、スペースが余ったので2枚追加して12枚です。

1. よしだたくろう「旅の宿」シングル。
 小6の時に買い、ギターも弾けないのにA面とB面「おやじの唄」を家で歌っていた。「旅の宿」が婚前旅行の唄とは知らない子供が歌うので、母親は困っていた。「おやじの唄」を目の前で歌われた父親も困っていた。中学に入り、たくろうにどっぷりはまった。自作曲がその影響から脱するのに苦労した。

2.サウンドトラック『アラビアのロレンス』
 中学に入ると、どっぷりと映画にはまり、ビデオなどないのでサントラ盤を聴いて、映画の名場面をひたすら脳内リピートした。様々なテーマメロが入りみだれる「序曲」に慣れたので、複雑な構成の曲にも慣れた。この曲は、20年後に初めて中国の砂漠に行った時に、ヘビロテで脳内リピート。

3.ボブ・ディラン『欲望』
 みうらじゅんと同じく、吉田拓郎経由でディランへ。しかし初めて買った『フリーホイーリン』は中3にはしょっぱかった。ようやくカッコイイと素直に聴けたのは「ハリケーン」が入っているこのアルバム。このサウンドは今も、自分がやりたい音のひとつ。それでバイオリン入れたバンドも作ったっけ。

4.甲斐バンド『サーカス&サーカス』
 ラジオから流れてきた「吟遊詩人の唄」に魅せられて買った甲斐バンド最初のアルバム。当時は「日本の最高のロックバンド」と思っていた。今じゃ自作曲でも歌詞を覚えるのに苦労するが、このアルバムの曲の歌詞は全部覚えていた。おかげで、今でも曲を作ると、甲斐のコブシが入ってしまいがちだ。

5.ディープ・パープル『ライブ・イン・ジャパン』
 中学高校の時は、学内のほぼすべてのバンドがパープルをしていたので、大人になるまでパープルはツェッペリンより上、ビートルズの次ぐらいだと信じていた。このアルバムを聴いた時は、正直、ギターソロとオルガンソロの楽器の差もわからなかったけど、早弾きが正義だった。なんでチャイルド・イン・タイムは飛ばしてた。

6.ビートルズ『ホワイト・アルバム』
 ビートルズは曲作りを始めた僕にとっては、コード進行のバイブルみたいなもので、それを真似て転調を覚えた。吉田拓郎のコード進行から脱却するためにも必要で(笑)。どのアルバムもすごく聴いているのだが、あらゆる曲作りの見本市みたいなこのアルバムを。

7.フリートウッド・マック『噂』
 さて自分がバンドを作るとなり、どんなモデルを浮かべたかというと、男女混合でリードボーカルが複数というこのバンドだ。イーグルスやドゥービーのように、ボーカルが何人もいた方がライブは見ていて楽しい。今のバンドスタイルの原型はここ。

8.佐野元春『VISTORS』1984
 正直、初期の元春は「アンジェリーナ」以外はちゃんと聴いてなかった。でもNY録音のこのアルバムが出た時は、ガツンと来た。日本にいる場合じゃないよと。カセットブックの「 ELECTRIC GARDEN」も買った。現代アートやポエトリーリーデンィグもやらなきゃと、この頃真剣に考えた。

9.ユニコーン『ケダモノの嵐』1990
 80年代末には聴きたいロックがなくなって、ワールドミュージックを聴いていた。そんな中、社会人となったかつてのバンドメンバーで新バンドを作る。リードボーカルの脱退後、バンド内バランスが崩れて民主化し、誰でも作って歌っていいことに。そこで参考にしたのがこのアルバム。「カッコいいロックて何?」と自分で吹っ切れて、好きな曲を作って自分で歌うことにした。

10.マイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』
 マイルスもディランと同じで、最初の数年は「すごい」と自分に言い聞かせて、修行のように聴いていた。でも、正直、よくわからない。でもこのアルバムは非常にわかりやすく、マイルス好きになる突破口になった。30代半ばにして、マイルスを知る90年代。ゼロ年代になり、40代になって管楽器を入れて初めた大所帯バンドのインスト作りのイメージは、このあたり。今でもインスト曲はやりたいんだが。

おまけ

ミカバンドのこのアルバム『黒船』は、男女混声、メンバーのキャラ立ち必須、インストも入れましょうという、今の僕のバンド作りの教科書。曲もいいしね。

J.ガイルズ・バンドや大学時代の友人の奥村くんみたいなキーボードが弾きたかった。プログレやハードロックのキーボードじゃなくて。このライブアルバム『狼からの一撃』は、そんな意味で、理想のカッコイイロックバンドのライブ。


by mahaera | 2020-06-01 11:06 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レヴュー●ジョニ・ミッチェルその9『ワイルド・シングス・ラン・ファスト』 - Wild Things Run Fast

名盤レヴュー●ジョニ・ミッチェルその9『ワイルド・シングス・ラン・ファスト』 - Wild Things Run Fast_b0177242_11451064.jpg
1982年10月発売。全米25位。
 旧邦題は『恋を駆ける女』。前作のライブ「シャドウズ・アンド・ライト」で、それまでのジャズ路線を集大成して、久しぶりにポップフィールドに戻ってきたジョニ。
 レコード会社もゲフィンに移籍し、以降はこのアルバムに参加したベーシストのラリー・クラインと4枚のアルバムを作ることになる。このアルバムが発売された年にジョニはその13歳年下のラリー・クラインと結婚する(結婚生活は12年続く)。

 録音メンバーは、ベースにラリー・クライン。ギターはスティーブ・ルカサーマイケル・ランドー、ラリ・カールトン。ドラムはジョン・ゲリンかヴィニー・カリウタ
 他にウェイン・ショーターがサックスでゲスト参加している曲もある。

 このアルバムについてジョニ自身は、スティーリー・ダン、トーキング・ヘッズ、ポリスの影響があると言っている。確かにそれらのアーティストが名盤を出していた頃で、リズムアレンジなどはその影響を受けたという。

 アルバムからは「チャイニーズ・カフェ/アンチェインド・メロディ」と「ベイビー・アイ・ドント・ケア」がシングルカットされ、プレスリーのカバーで映画『監獄ロック』の挿入歌でもある後者は47位まで上昇した。
 ジョニのアルバムの中では、もっともポップに触れた一枚で、聴きやすい方だ。

1. Chinese Cafe/Unchained Melody
2. Wild Things Run Fast
3. Ladies' Man
4. Moon at the Window
5. Solid Love
6. Be Cool
7. (You're So Square) Baby I Don't Care
8. You Dream Flat Tires
9. Man to Man
10. Underneath the Streetlight
11. Love

 1983年には、このアルバムに合わせたワールドツアーを行う。ツアーのスタートは日本からで、2月末に来日をするが、これは今に至るまでジョニ唯一の単独日本公演だ。公演は全7回で演奏曲はアンコールを含めて20曲、うち7曲が新作である本作から。あとは過去の代表曲を散りばめたもの。このころはジョニ・ミッチェルにほとんど興味がなかったころなので、来日したのもよく覚えていない。武道館2日間公演をしたようだが、今となってはもったいないことをしたものだ。このライブは当時、FMでオンエアされたので、いい音のブートも出回っている。バックバンドはラリー・クライン(b)、マイケル・ランドー(g)、ヴィニー・カリウタ(ds)、ラッセル・フェランテ(Key)という、録音にも参加したNYの一流セッションマンたちだ。

 この年はジョニにしては精力的に70回のライブを行う(前年は1回)。日本の後はオセアニア、4月からはヨーロッパ、6月からは北米を回り7月まで続いた。以降、ジョニはツアーは1998年のボブ・ディランとのジョイントツアーまで15年間行っていない。


by mahaera | 2020-05-29 11:46 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその32●『ライオンキング』The Lion King(1994年)

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1994年6月発売。ディズニーアニメのサウンドトラックながら全英1位、全米4位の大ヒットを記録した。録音は93年から94年にかけてロンドンで行われた。1~5曲めのミュージカルパートはエルトンが作詞家のティム・ライスと組んで作ったもの、6~9曲目はハンス・ジマーによる劇伴、10~12曲目がエルトンによるパフォーマンス(クリス・トーマスのプロデュース、演奏はエルトンバンド)。ブロードウェイ版では3曲が追加された。wikiによれば売り上げは1500万枚で、アニメのサウンドトラックとしては世界一らしい。エルトンが歌う曲は3曲のみだが、他の曲もエルトンが作曲しているので、ここで例外的に紹介する。

1stシングルは大ヒットした「愛を感じて」 (Can You Feel the Love Tonight)」B面はインスト。作詞はティム・ライス。94年5月発売。壮大なスケールを感じさせる名曲で、全米4位、全英14位だったが、のちに広くカバーされるようになった。プロデュースはクリス・トーマス。アカデミー賞歌曲賞受賞

2ndシングルは8月9日発売の「サークル・オブ・ライフ」で、全米18位、全英14位。アカデミー賞歌曲賞ノミネート。

『ライオンキング』の成功の後、エルトンはミュージカルやハリウッド映画の挿入歌をたびたび手がける様になった。ミュージカルの次作は98年の『アイーダ』となる。

1994年のエルトンは「ライオンキング」のサントラ以外にオリジナルアルバムを出さなかったので、新作ツアーは行わなかったが、その代わりにビリー・ジョエルとのジョイントで5万人を収容できるスタジアム級の会場を回る「フェイス・トゥ・フェイス」ツアーを行った。94年は7月から8月にかけて21回でアメリカのみ。ハイライトはジャイアンツスタジアムの連続5回公演で約30万人を動員した。ステージはまずエルトンとビリーが二人でピアノに向かい「ユアソング」「オネスティ」「僕の瞳に小さな太陽」の3曲を演奏し、第一部のエルトンバンドのステージに。
フィラルディア・フリーダム、パイロットに連れて行って、レヴォン、ロケットマン、シンプルマン、ザ・ワンなど12曲を演奏。うち、1曲はビリーの「ニューヨークへの想い」を歌い、「ブルースはお好き」ではビリーが登場しデュエット。
第2部はビリージョエルのバンドのステージで、「プレッシャー」や「アレンタウン」などの代表曲とエルトンの「グッバイ・イエローブリックロード」を歌い、エルトンが加わって「マイ・ライフ」を一緒に歌う。
3部はバンドをバックに二人の共演で「あばずれさんのお帰り」「ガラスのニューヨーク」「ベニーとジェッツ」の3曲を披露。アンコールではビートルズの「ハードデイズナイト」、リトル・リチャードの「ルシール」、ジェリー・リー・ルイス「グレートボール・オブ・ファイア」、最後がビリーの「ピアノマン」で終わるという4時間近いコンサートだった。この「フェイス・トゥ・フェィス」ツアーは翌年の3月と4月にも北米12か所で行われた。

94年の後半はエルトンは再びソロツアーを行う。一部はソロ、2部はパーカッションのレイ・クーパーとのデュオというスタイルだ。9月からカリフォルニアを中心に西海岸を回り、11月からはヨーロッパを回る。ハイライトはロンドンのロイヤルアルバートホール連続12回公演だった。


by mahaera | 2020-05-26 09:53 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその31●『デュエット・ソングス』Duets(1993年)

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 1993年11月発売。全英5位、全米25位の企画物、デュエットアルバム。
 15人のシンガーとのデュエットと最後はエルトンのみでの歌の全16曲。曲はエルトンとトーピンのオリジナルだけでなく、カバーや人の曲も歌っている。新録だが、ジョージ・マイケルとの「僕の瞳に小さな太陽(ライヴ)」は1991年にシングルとして発売され、全米・全英共に1位を記録したもの。シングルの収益金は、すべてエイズ基金に寄付された。

 アルバムからの1stシングルは、久しぶりキキ・ディーとのデュエット「トゥルー・ラヴ」で、これは映画『上流社会』で使用されたコール・ポーターのスタンダードのカバー。全英2位、全米56位。プロデュースとアレンジは、ナーラダ・マイケル・ウォルデン。1996年にはホンダ・S-MXのCMイメージソングに起用された。

 2ndシングルは94年2月に発売されたル・ポールとのデュエット「恋のデュエット」。ディスコ用のマキシシングルなども発売された。全英7位、アメリカはランク外だがダンスクラブ・チャートには入った。ル・ポールはドラアグ・クィーンのパフォーマーで、プロデュースはジョルジオ・モロダー

 3rdシングルはマルセラ・デトロイトとのデュエット「リアル・シング 」で、94年3月発売。全英24位。 アシュフォード=シンプソン作でマーヴィン・ゲイがかつてヒットさせた曲。プロデューサーはクリス・トーマス

1.「ティアードロップス - Teardrops - with k.d.ラング」オープニングを飾る元気なポップロック曲。k.d.ラングは同性愛者であることをカミングアウトし、エイズチャリティーなども行っているカントリー歌手。

2.「ホェン・アイ・シンク・アバウト・ラヴ - When I Think About Love (I Think About You) - with P.M.ドーン」AOR風バラード。P.M.ドーンはアメリカのヒップホップ兄弟デュオ。

3.「パワー - The Power - with リトル・リチャード」ピアノロッカーの大先輩。トーピン=エルトンの新曲だが、ロックというよりゴスペルタッチのブラコン。パッとしない。

4.「シェイキー・グラウンド - Shakey Ground - with ドン・ヘンリー」元イーグルスと取り上げるのはテンプテーションズの楽曲。プロデュースもドン・ヘンリー。ちょっと珍しい組み合わせ。

5.「トゥルー・ラヴ - True Love - with キキ・ディー」前述

6.「イフ・ユー・ワー・ミー - If You Were Me - with クリス・レア」イギリスのシンガー&ギタリストのクリス・レアの新曲でプロデュースも彼。途中で彼らしいギターソロが聴ける。

7.「ウーマンズ・ニーズ - A Woman's Need - with タミー・ウィネット」タミーはベテランカントリーシンガーで、プロデュースはバリー・ベケット。曲はエルトン&バーニーによる新曲。

8.「オールド・フレンド - Old Friend - with ニック・カーショウ」エルトンともつながりの深い、アイドル出身のアーティストのニック・カーショウによるもので、全楽器とプロデュースも彼自身。

9.「ゴー・オン・アンド・オン - Go On And On - with グラディス・ナイト」ディオンヌ・ワーウィックの「愛のハーモニー」で競演したグラディスとスティーヴィー・ワンダーとの競演。曲はグラディスの過去曲で、すべての楽器とアレンジ、コーラスとプロデュースをスティーヴィー・ワンダーがしているので、コーラス部になるとスティービーのアルバムのよう。

10.「恋のデュエット - Don't Go Breaking My Heart - with ル・ポール」前述

11.「リアル・シング - Ain't Nothing Like The Real Thing - with マルセラ・デトロイト」前述

12.「恋のあやつり人形 - I'm Your Puppet - with ポール・ヤング」オリジナルはJames&Bobby Purifyの全米6位のヒットだが、僕には原作者のダン・ペンの方で覚えていた。

13. 「ラヴ・レター - Love Letters - with ボニー・レイット」1945年の映画『ラヴ・レター』の主題歌。プロデューサー:ドン・ウォズ。

14.「ボーン・トゥ・ルーズ - Born To Lose - with レナード・コーエン」ジョニー・キャッシュやレイ・チャールズも歌ったカントリーソング。

15.「僕の瞳に小さな太陽(ライヴ) - Don't Let the Sun go Down on Me (live) - with ジョージ・マイケル」1991年3月ウェンブリー・アリーナでのジョージのライヴに、エルトンがゲスト出演した際のもの。シングルとして発売されヒットした。

16.「デュエット・フォー・ワン - Duets For One」作詞クリス・ディフォード、作曲エルトン。この楽曲のみエルトン一人での歌唱。

 エルトンの93年のツアーは2月のオセアニアから始まった。これは前年の新作「ザ・ワン」に合わせてのツアーの続きで、7レグ154回に及ぶもの。
 ニュージーランド、オーストラリア、香港、シンガポールを回り、続けて4月からはそのまま北米ツアーに。そのまま5月からヨーロッパツアーに突入し、6月20日のイスタンブールで終了した。
 9月からは北米でパーカッションのレイ・クーパーだけを帯同したソロツアーを行う。これは初期曲を多く取り上げたもので、12月の南アフリカのサンシティ公演で終了した。


by mahaera | 2020-05-23 09:41 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその30●『ザ・ワン』The One(1992年)真のエルトン復帰作としての名作

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 1992年6月発売。全英2位、全米8位の好セールスを記録した90年代エルトンの第1作であり、真のエルトン復帰第1作。
矯正施設で治療し、アルコールやドラッグ、過食などの依存症、エイズへの恐怖や親しい者の死から立ち直り、再び表舞台に帰ってきたエルトン
 髪の毛も戻ったエルトンの写真を置いたジャケットデザインは、友人のヴェルサーチによるもの。

 録音は91年11月から92年3月にかけてパリとロンドンで行われた。プロデュースはクリス・トーマス。録音メンバーは当時のエルトンバンドのツアーメンバーと同じデイヴィー・ジョンストン(ギター)とガイ・バビロン(キーボード)を中心に、ピノ・パラディーノ(ベース)などのセッションミュージシャンが集められている。またエリック・クラプトンやデビッド・ギルモアのゲスト参加も話題になった。エルトンはローランドの電子ピアノRD-1000を弾いている。

 前スタジオ作の『スリーピング・ウィズ・ザ・パスト』に続く好アルバムで、底辺から脱したエルトンを印象付けるだけでなく、90年代を代表するエルトンのアルバムだ。
 ゆったりとしたテンポの曲が多いが、90年代はこうしたAOR指向の新曲が多くなっている。もっともライブでは相変わらず、70年代のロックヒット曲を演奏していたのだが。

 アルバムからの1stシングルは92年5月リリースの「ザ・ワン - The One」。復活後のAORエルトンを代表するスケール感の大きいバラード曲だ。カップリング曲はアルバム未収録の"Suit of Wolves" と"Fat Boys and Ugly Girls”。全英10位、全米9位。PVの監督はラッセル・マルケイ。
 カバーアートワークはアルバム同様、ヴェルサーチが手がけた。本作で1993年のグラミー賞でベスト男性ポップボーカルにノミネートされた。

2ndシングルは間を空けずに92年7月にリリースされた「ランナウェイ・トレイン」。全英31位、全米10位。
エルトン・ジョン&エリック・クラプトン名義で、映画『リーサル・ウェポン3』での挿入曲として、そちらのアルバムにも収められた企画曲。クラプトンとはそれまでに何度もジョイントライブを行っており、親しい間柄だったから自然な流れだったのかもしれない。92年には一緒にツアーも行っている。
 この曲の演奏はエルトンのバンドで、歌とギターでクラプトンが参加。珍しくエルトンのオルガンソロが聴ける。PVは二人のウェンブリーアリーナでのライブを映像に使ったもの。

次の3rdシングルはアルバム最後の曲「ラスト・ソング」。全英21位、全米23位。ビートルズの「イエスタディ」のカバーか?みたいな出だしだが、エルトンの十八番のバラード曲。
 詩の内容は離婚した父親が、エイズで死んだゲイの息子と折り合いをつけるという内容で、収益はエイズ基金に寄付された。前年に亡くなったフレディ・マーキュリーの影響もある曲だという。
 PVの監督はガス・ヴァン・サントで、髪ふさふさのエルトンが切々と歌う。

4thシングルはアルバム1曲めに入っている「シンプルライフ」で、全米30位だが、アダルトコンテポラリーチャートでは1位になった。24年連続でビルボードTOP40に入ったとして、この曲でエルトンはそれまでの記録保持者のプレスリーを抜いたという。このシングルバージョンは今は出回っていないが、落ち着いてゆったりとしたアルバムバージョンとは異なり、テンポが少し早く、ミックスも異なりサウンドが全体的に派手になっているが、これはこれでいい。長さも6:25から4:54に短くなっている。PVの監督はラッセル・マルケイ。

1.「シンプル・ライフ - Simple Life」前述
2. 「ザ・ワン - The One」前述
3. 「スウェット・イット・アウト - Sweat It Out」AORぽい、バラード
4. 「ランナウェイ・トレイン - Runaway Train」前述
5. 「白人の町 - Whitewash County」このアルバムの中では明るくキャッチーなポップな曲。
6. 「ノース - The North」ゆったりとしたバラード曲
7. 「きまぐれ女をあやつる方法 - When A Woman Doesn't Want You」
8. 「エミリー - Emily」
9. 「オン・ダーク・ストリート - On Dark Street」
10. 「アンダースタンディング・ウィメン - Understanding Woman」デヴッド・ギルモアがギターで参加
11. 「ラスト・ソング - The Last Song」前述

 92年4月20日は、ウェンブリーアリーナで「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」に出演。これはエイズ基金のためのチャリティで7万2000人の観客が集まった。当時は、エイズは深刻な問題だった。エルトンはコンサートの終盤で、「ボヘミアン・ラプソディ」(アクセル・ローズと)と「ショウ・マスト・ゴー・オン」を歌った。3月には恒例のNYでの熱帯雨林救済コンサートでカバーのみ8曲歌う。

 アルバムの発売に合わせた「ザ・ワン・ツアー」は、1992年の5月から翌93年7月までの1年にわたり、7レグ154回にわたる長いものだった。92年のヨーロッパツアーはオスロから始まり、ロンドンのウェンブリーアリーナを経て7月のスペインで終了。バルセロナ公演は映像収録もされビデオ発売もされた。このツアーは、エルトンがライブでRD-1000を使う最後のものになった。
 3週間ほどの休みを挟み、8月からはアメリカツアーが始まる。ハイライトはニューヨークのシェアスタジアム2日公演とマジソンスクエアガーデン7日間公演、ロサンゼルスのドジャースタジアム(アンコールゲストで、ジョージ・マイケル登場)の2日公演でそれぞれ12万人ずつの動員をした。メキシコシティのアステカスタジアムでは2日間で18万人の動員の後、南米のブエノスアイレスやリオデジャネイロ公演を行い、92年のツアーは11月まで行う。ツアーでは、故フレディ・マーキュリーに捧げて「ショー・マスト・ゴー・オン」を歌った。

 ツアーに合わせてかエルトン再評価の波が高まったこともあり、アメリカのみで『Greatest Hits 1976-1986』が発売される(現在は廃盤)。これは1976年の『青い肖像』から86年の『アイス・オン・ファイアー』までのベスト盤で13曲入り。
 また10月にはDJMレーベル時代の未発表曲を集めたCD2枚組『レア・トラックス』も発売。こちらは1968年のソロデビュー「アイブ・ビーン・ラビング・ユー」から1975年までのアルバム未収録シングルとそのB面で、特筆は廃盤になっていた映画のサウンドトラック『フレンズ』が全曲入っていること。これにより1975年までのアルバム2枚分のアルバム未収録曲を聴けるようになったが、それ以降のシングルB面曲は未だにまとめて発表される機会はない。


by mahaera | 2020-05-14 16:47 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

Netflix音楽ドキュメンタリー『マイルス・デイヴィス : クールの誕生』レヴュー

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 2019年に制作されたマイルスのヒストリードキュメンタリー
 タイトルに「クールの誕生」とあるが、同アルバムについてのではないのでご注意。子供時代のマイルスからその死までを2時間で語るので、かなりの大急ぎなのだが、その分、テンポが良く飽きさせない作りになっている。
逆に言えば、僕のように「マイルス自伝」とか菊地成孔の「MD」とか、公式アルバム全部聴いたようなフリークにとっては、2時間のビートルズドキュメンタリーを見ているようで物足りないのだが。。入門編ならいいだろう。

 ファンにはおなじみのエピソード(武勇伝)が綴られるのだが、マイルスは逝ってしまったで、生前の肉声で。あとは今も生きているマイルス関係者たちへのインタビューが使われている。驚いたのは、マイルスの元妻フランシス・テイラーが出てきて、インタビューに答えていること。『いつか王子様が』とかのジャケの人ね。いくつだろ。
★★★

by mahaera | 2020-05-13 11:07 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその29●『トゥー・ルームス』Two Rooms: Celebrating the Songs of Elton John & Bernie Taupin(1991年)

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1991年10月発売。16組のアーティストがエルトン・ジョンとバーニー・トーピン(作詞)のコンビの作品を歌う企画アルバムだが、よくできているし、エルトンがアルバムを出さなかった年なので、ここで取り上げる。ラジオを聴いているような感覚で楽しめると思う。

 アルバムはアメリカで100万枚、イギリスで30万枚売れた。
ここからシングルカットされたのは、オリータ・アダムズの「僕の瞳に小さな太陽」ケイト・ブッシュの「ロケット・マン」で、前者は全英33位、後者は12位まで上った。

 演奏は基本的にそれぞれが自分のバンドや関係のあるメンバーによって録音しているので、特にサウンドが統一されいるわけではない。
 聴きごたえがあるのは、エリック・クラプトン、ケイト・ブッシュ、スティング、ウィルソン・フィリップス、ジョージ・マイケルらで、ザ・フーやロッド・スチュワートは意外性がなくてふつうかな。

1. 人生の壁 Border Song - Eric Clapton
2. ロケット・マン Rocket Man (I Think It's Going To Be A Long, Long Time) - Kate Bush
3. 遅れないでいらっしゃい Come Down In Time - Sting
4. 土曜の夜は僕の生きがいSaturday Night's Alright (For Fighting) - The Who
5. クロコダイル・ロックCrocodile Rock - Beach Boys
6. ダニエルDaniel - Wilson Phillips
7. 悲しみのバラードSorry Seems To Be The Hardest Word - Joe Cocker
8. リーヴォンの生涯 Levon - Jon Bon Jovi
9. あばずれさんのお帰り The Bitch Is Back - Tina Turner
10. フィラデルフィア・フリーダムPhiladelphia Freedom - Daryl Hall And John Oates
11. 僕の歌は君の歌Your Song - Rod Stewart
12. 僕の瞳に小さな太陽Don't Let The Sun Go Down On Me - Oleta Adams
13. マッドマンMadman Across The Water - Bruce Hornsby
14. サクリファイスSacrifice - Sinead O'Connor
15. 布教本部を焼き落とせ Burn Down The Mission - Phil Collins
16. トゥナイトTonight - George Michael

 この年、エルトンはツアーは行わなかったが、3月にNYのカーネギーホールの「熱帯雨林救済コンサート」に出演して数曲歌った。
 また3月19日には、ウェンブリーアリーナで行われたジョージ・マイケルのコンサートにエルトンが客演。それがジョージ・マイケル&エルトン・ジョン名義のデュオ『僕の瞳に小さな太陽Don't Let The Sun Go Down On Me(B面はスティービー・ワンダーのカバーの「I Believe」)』が91年11月にシングルになり、全米・全英ともに1位の大ヒットになる。
 二人は1985年のライブ・エイドでもこの曲を取り上げていた。このPVも作られたが、こちらはロンドンではなく、シカゴで後から撮影されたものだ。依存症からの回復期のエルトンだが、調子はいい。名演だ。エルトンとしては3枚めの全英No.1シングルになった(デュオ含む)
 また、エルトンと同じマネージャーを持っていたクイーンのフレディが11月24日に他界した。エルトンは他にも友人たちをエイズで失っており、こうしたことがAIDS基金の発足や寄付へと繋がっている。


by mahaera | 2020-05-09 14:33 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

音楽映画レビュー『ジョー・コッカー: マッド・ドッグ・ウィズ・ソウル』


音楽映画レビュー『ジョー・コッカー: マッド・ドッグ・ウィズ・ソウル』_b0177242_11392609.jpg
ジョー・コッカーには「マッドドッグス・ウィズ・イングリッシュメン」というライブア
ルバムとそのドキュメンタリーがあるがこちらは別物で、ジョー・コッカーのヒストリードキュメンタリーだ。才能はあるが、終生依存症に苦しめられた男の話だ。

 ビートルズのカバー「ウィズ・ア・リトルヘルプ」で1968年にデビュー、1969年に伝説のウッドストックに出演し、たちまち話題を呼んだ期待の大型新人ジョー・コッカー。
 1970年にはレオン・ラッセルがバンドを編成し、ライブアルバム「マッドドッグス・ウィズ・イングリッシュメン」を出すが、コッカーは莫大な負債を抱えてしまう。50人ものメンバーやスタッフに払う金、便乗して金をせしめるもの、ドラッグを売りつけるもの、NOと言えないコッカーは酒とドラッグに溺れていく。
 結局、ラッセルは責任を取らずに逃げ、デビューからの相棒のキーボード奏者のクリス・ステイントン(現クラプトンバンド)も離れていく。

 一時は酒に溺れてステージにも立てず、アルバムも作れない状態に陥るが、70年代末にウッドストックのプロモーターがマネジャーにつき、カムバックに向けて動き出す。
 少しずつ依存からの脱却を図り、1981年には「愛と青春の旅立ち」で全米1位に。
 一般人と結婚し、誘惑にまみれた業界から距離を置く生活を送るも、一度ツアーに出てしまえばアルコールの誘惑が彼を呼ぶ。20年近く続いた依存からようやく脱却する日が来たが。。

 2014年に亡くなったジョー・コッカーの死後に作られたドキュメンタリーで、コッカー自身はインタビュー映像でもほぼ登場しない。演奏シーンはもちろんある。
 周囲の人々のインタビューから、彼がどういう人物であったかを浮かび上がらせていく手法だ。

 多分、コッカーという人は、内面と外面に大きなギャップを抱えて生きていた人なんだと思う。臆病で意志が弱い面があり、それが依存症につながっていったのだろう。
 押しの強い人の前でNOと言えない、また出て行って欲しい人に帰ってくれと言えない。しかし単なるいい人ではない。
 黒い部分も持っているが、それを普段はずっと押し殺している。解放できるのが、ドラッグとアルコールだった。

 とはいえ、歌の才能はあった。デビューから死ぬまで、ずっとあの声とテンションだったのだ。

 面白いエピソードは、アメリカに住んでいた彼が、エリザベス女王50周年記念コンサートに出演したときのこと。
 彼はそこで「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ」を歌うのだが、この曲を知っている人はわかると思うが、ブレイクでシャウトをきかせるところがある。
 ここはコンサートの終盤で喉の調子がいい時にいつも歌っているのだが、ゲスト出演で一曲だけでいきなりあの声が出るかというのが、不安だった。しかし、本番では出せた。女王の前では彼もやはりイギリス人だったというのだ。
 ということで、今度、彼の80年代のアルバムでも聞いてみようかな。


by mahaera | 2020-05-07 11:40 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レヴュー/エルトン・ジョンその28●『ベリー・ベスト・オブ・エルトン・ジョン』The Very Best of Elton John(1990年)

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 ベストなんだけど、最初に買ったエルトン・ジョンのCDはこれだった。アナログは「グレイテストヒッツ」しか持っていなかった頃。これ買って、「80年代のエルトンもいいじゃない」と思ったんだけど。

 1990年10月発売。全英1位で270万セットを売り上げた、編年的にヒット曲や代表曲を収録したCD2枚組のベストアルバム。
日本ではちょうど「ユアソング」が映画『エンジェル~僕の歌は君の歌』の主題歌になったこともあり、20万枚のヒットになった。
 エルトンはそれまで3枚のベストアルバムを出していたが、CD時代になって全時代を網羅するベスト盤が求められた。
「ユアソング」からその時点での最新ヒット「サクリファイス」までと新曲2曲(映画の主題歌など)の全30曲入り。
 世界各地でN0.1を記録したが、アメリカでは同時期にCD4枚組のボックスセット「to be continued…」(全米88位)が発売されたこともあり、未発売になった。

 選曲は当時の全キャリアを網羅する順当な選曲で、オリジナルアルバムには収録されていないシングルのみの曲も含まれている。
 不思議なのは全米No.1になった「アイランド・ガール」が入っていないことだが、ライブでもあまり演奏していないので、お気に入りではないのだろう。
 またヒットの度合いでは、全米2位になった「リトル・ジニー」もない

 この年に新作アルバムを出していないのは、エルトンのアルコール、ドラッグ、過食依存がひどくなり、とうとう施設に入院することになったこともある。
 アルバム作りは中断され、そのうちの何曲かはこのベストアルバムなどに組み込まれた。

シングルカットは新曲の『ユー・ゴッタ・ラヴ・サムワン(B面はアルバム未収録曲の「Medicine Man」)』が90年8月にされ、全米43位、全英33位
プロデュースはドン・ウォズで、トム・クルーズ主演映画『デイズ・オブ・サンダー』のサントラにも挿入歌として収録された。印象薄い曲。

もう1曲の新曲『イージアー・トゥ・ウォーク・アウェイ』もそのあとシングルカットされた。全英63位、アメリカはチャートインせず。これも印象薄いな。

Disc-1

僕の歌は君の歌 - Your Song
ロケット・マン - Rocket Man (I Think It's Going to Be a Long Long Time)
ホンキー・キャット - Honky Cat
クロコダイル・ロック - Crocodile Rock
ダニエル - Daniel
グッバイ・イエロー・ブリック・ロード - Goodbye Yellow Brick Road
土曜の夜は僕の生きがい - Saturday Night's Alright for Fighting
風の中の火のように - Candle in the Wind
僕の瞳に小さな太陽 - Don't Let the Sun Go Down on Me
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ - Lucy in the Sky With Diamonds(with ジョン・レノン)
フィラデルフィア・フリーダム - Philadelphia Freedom
僕を救ったプリマドンナ - Someone Saved My Life Tonight
ピンボールの魔術師 - Pinball Wizard
あばずれさんのお帰り - The Bitch is Back 

Disc-2

恋のデュエット - Don't Go Breaking My Heart(with キキ・ディー)
ベニーとジェッツ(やつらの演奏は最高) - Bennie and the Jets
悲しみのバラード - Sorry Seems to Be the Hardest Word
ソング・フォー・ガイ - Song for Guy
パート・タイム・ラヴ - Part-Time Love
ブルー・アイズ - Blue Eyes
ブルースはお好き? I Guess That's Why They Call It the Blues
アイム・スティル・スタンディング - I'm Still Standing
キッス・ザ・ブライド - Kiss the Bride
サッド・ソングス - Sad Songs(Say So Much)
パッセンジャーズ - Passengers
悲しみのニキタ - Nikita
アイ・ドント・ワナ・ゴー・オン - I Don't Wanna Go on With You Like That
サクリファイス - Sacrifice
イージアー・トゥ・ウォーク・アウェイ - Easier to Walk Away
ユー・ゴッタ・ラヴ・サムワン - You Gotta Love Someone

 1990年は前年発売された「Sleeping with the Past」ツアーのオセアニアツアーから始まった。
1/27のパースを皮切りに3/3のオークランドで終了。
そのあと、4月に「ファームエイド90」で3曲歌い、5月にアメリカのアトランティックシティで3日間のライブを行ったあと、ツアーは1992年の「ザ・ワン・ツアー」までは行われなかった。ツアーが終わり、幾つかのTVに出演して「サクリファイス」を歌うなどしたあと、エルトンは依存治療の療養所に入所した。
 エルトンが再びツアーを行うのは2年後になるが、皮肉にもその間に出たベストアルバムやトリビュートアルバムがエルトンの再評価につながっていく事になる。
僕もエルトンはヒットチャートの人だと思っていたから、アルバムは聴いていなかったし。


by mahaera | 2020-05-05 15:42 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)