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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]先史時代/2.農耕と牧畜の開始(前1万3000〜前6000年)その1

前回までの「人類の誕生」では、約7万3000年前の「トバ・カタストロフ」によって氷期が始まり、
その後、アフリカにいたホモ・サピエンスが世界に拡散。
約1万3000年前に氷期は終わったが、それまでに、他種の人類や大型哺乳類は絶滅していたことまで述べた。
今回は温暖化の前後に始まった、人類の一大転換ともいうべき事件
「農耕と牧畜の開始」についての章だ(これも数回に渡る予定)。
人類700万年の歴史のうち、それまでずっと狩猟採集で生きていた人類が、
なぜここに来てその生き方を変えたのか。
人類の経済が狩猟採集の「獲得経済」から、
農耕・牧畜の「生産経済」への移行した重大さは、
それまでのゆっくりと進化した700万年に比べると、
ここからたった1万年ほどで、人類が現在に至る大発展をしたことからもわかるだろう(教科書では「産業革命」と並ぶとしている)。

それまで自然の恩恵を受けて生きてきた人間が、
自然をコントロールし始める第一歩なのだ。


農耕の開始以前から、人類は物々交換を始めていた。
その地方でしか取れない石器に使うための石、
あるいは装身具などはかなり遠くまで運ばれており、
「交易の概念」は生まれていた。
それと前後して、仕事やものづくりの分業・専門化も徐々に始まっており、
他のグループとの交易は信頼関係(あるいは敵対関係)のルールを生み出すことにもなったことだろう。
農業や牧畜が生まれたのも、こうした交易や分業・専門化なしには成り立たない。
狩猟採集民がおおむね自給自足なのに対して、農耕民や牧畜民はそれのみをするという専門職に近いので、生活に必要なものすべてを生産することはできないからだ。


農耕と定住


今の私たちからすると、「農業」という簡単な方法を、
なぜ人間が長い間思いつかなかったか不思議かもしれない。
しかし農家の方ならご存知だろうが、農業は非常に手間がかかるものだ。
畑を耕し、雑草を抜き、肥やしをやるというだけでなく、道具が必要だ。
そして種を蒔いてから、収穫するまで時間がかかる。
だから農耕は「定住」生活が必須条件になる。

農耕をするようになって人類は定住するようになったのか、定住するようになって農耕を始めたのかは、ケースバイケースだが、今では定住のほうが先だったと言われている。
農耕の開始時期がいつかを知るのは難しい。
例えば先史時代の住居の遺址から、
保存された穀類が大量に発見されたとしても、
それが農耕によって得たものか、野生種を採集したかわからない。
畑や田の跡が発見されないと、農耕の決め手にはならないのだ。
しかし、近年はDNA研究も進み、
品種が野生種か栽培種かだんだんわかるようになってきた。
ただし、農耕が始まってから定住化が加速されたことはまちがいないだろう。
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by mahaera | 2018-05-31 14:53 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

最新映画レビュー『犬ヶ島』背景のすみずみまで気になる! 不思議な日本が面白い




『グランド・ブダペストホテル』『ムーンライトキングダム』などのウェス・アンダーソン監督による、『ファンタスティックMr. FOX』に続くストップモーションアニメ。
「20年後の日本」と字幕が出るが、
出てくるのは未来というより、昭和20〜30年代の日本。
それが見事に作り込まれていて、画面の端々まで目を凝らして見てしまう。

“ドッグ病”が蔓延するメガ崎市で、人への感染を
恐れた小林市長がすべての犬を“犬ヶ島”へ追放する。
そこへ12歳の少年アタリが小型飛行機でやってくる。
愛犬のスポッツを探すためだ。
島に住む5匹の犬がアタリに協力し、旅に出る。
一方、メガ崎市では、大きな陰謀が進んでいた。。。

ウェス・アンダーソン作品が好きな人なら、
何も言わずに見ればいい。
シンメトリーな画面構成、カメラ目線の登場人物、
既製曲の新鮮な使い方、ユーモアとペーソスあふれるストーリー、細部へのこだわりは健在だ。

映画に出てくる日本は、現実世界にはない、
昭和の黒澤映画に出てくるような世界。
日本人にとっても懐かしいが、本当にそんな世界が
あったのかと僕でさえ、記憶の彼方だが、
妙な居心地の良さを感じる。
他のウェス・アンダーソン作品同様、
大きな社会的メッセージがあるわけではない。
「報われない家族同時の愛情」が描かれることが
多い彼の作品だが、ここではそれは薄味になり、
むしろ人間と犬の絆を描いている。
そして少年の冒険物語としては、無茶苦茶真っ当で、
絵本を読んでいるようだ。

スカーレット・ヨハンソン、フランシス・マクドーマンド、エドワード・ノートン、ブライアン。クランストンから、渡辺謙、小野洋子に至る声優陣が豪華。
映画好きなら、きっと楽しめる作品だと思う。
★★★★

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by mahaera | 2018-05-30 11:07 | 映画のはなし | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介 その1(先史時代)「繁栄」「人類5万年 文明の興亡」

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「繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史」

(ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 2013年 マット・リドレー著


人類の将来は悲観することはないとする「合理的楽観主義者」の著者が、人類の繁栄の歴史を紐解く。

「ヒトが成功したのは、分業と交換により多くの時間を節約できるようになったから」という、あまり世界史では言及されないが当然とも言えることを詳しく述べている。交易や商業の発達が専門化を促し、より高度な技術が発達した。それが産業につながっていったと。
単行本では上下2冊、文庫本では624ページ1冊にまとめられている。

★★★


「人類5万年 文明の興亡(上): なぜ西洋が世界を支配しているのか」

(筑摩書房)2014年 イアン・モリス著


なぜ現在の世界は、西洋(本書の場合はオリエントから始まった文明圏)が経済的にも文化的な価値観においても世界を覆っているのか。
独自に発展した東洋(本書の場合は中国をコアとする文明圏)が、巻き返すチャンスはなかったのか。
それぞれの長い歴史を同等に見て、両地域は同様に同じ道筋をたどって発展してきたと述べている。
著者は古代地中海史が専攻らしいので、その辺りは詳しいが、いちいち同時期の西洋と東洋を比較しているのは、この本の主題がそこなので仕方がないのだが、読んでいるうちにやや鬱陶しくなる。
今回は、先史時代から古代パートを中心に読んだ。

★★


★★★★★=世界史を学ぶ定番、★★★★=なかなかの良書。専門外でも面白い、

★★★=面白いが、ある程度の世界史好きに、★★=悪くはないが、時間があれば、

★=面白くなかったし、特に読まなくてもいい


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by mahaera | 2018-05-29 10:22 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]先史時代/1.人類の誕生 その8 交換・商業の始まり

交換が人間社会を発展させた

「交換」とは異なるものの間に、
お互いに価値を見出しているから成立するものだ。
交換が人類の歴史の中のどこで始まったかはわからない。
しかし一度その概念を思いつくと、物々交換はすぐ広まったのかもしれない。
最初は同じ集団の中でものの交換が始まり、
やがて違う集団で交換が始まったことだろう。
狩猟民が採取民と食料を交換する。
石器に必要な石、木に結びつける革製品、
あるいは装身具に必要な貴重な石を交換
し始めたことも、
1万年前までに始まっていた。


交換に言葉は必要ではない。
ヨーロッパ人が新大陸を見つけて、北米や南米、

オセアニアなどで現地の住民と初めて接触した時、

すでに現地の人たちは交換の概念を知っており、物の取引に応じた。
アフリカでは10万年前から、
内陸で取れる黒曜石と海辺の貝殻が交換されていたという。
交換しているうちに、人々は相手がより欲しがるものを知ってそれを用意するようになり、また、より出来がいいものが価値を持つようになる。

ある地域では集めるのがたやすいものでも、
他の地域では珍しいから価値が出る。
交換も最初は隣同士の集団だったろうが、
より遠くの集団とするために遠出をしたり、
あるいはリレー式にものが交換されたりする場合もあった。
交換が進めば、より分業・専門化が進む。リレー式の交換が成り立つということは、途中の交換のたびに差益が生まれるということだ。これは商業や貿易、産業の原型だ。
そしてそれが、人類を発展させてきたことは、わかるだろう。


農業は始まっていなかったが、2万年前から始まった温暖化とともに植物の採集は盛んになっていた。
特に西アジアでは、小麦、大麦、エンドウ、レンズ豆の原種があり、それらの野生種を収穫して貯蔵していた。
ムギなどは、農耕が始まるよりも1万年も前に、粉にしてパンを焼いていた。
穀物は焼くことにより、そのまま食べるよりも高い栄養素を得ることができる。
ただし、まだ栽培種ではないので、実は小さかった。
また、西アジアには、のちに家畜される野生動物の種類が多かったことも幸いした。
このように人類が狩猟採集民の時代に、分業・専門化と交易が始まっていた
そして農耕が始まり、ヒトはさらに大きなステップに進むことになる。


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by mahaera | 2018-05-27 11:36 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]先史時代/1.人類の誕生 その7 洞窟絵画、専門・分業化の始まり

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(写真)インドネシアのスラウェシ島にある、リアンリアンの洞窟手形。
手形は、たいていの洞窟壁画で見られる。これはそれほど古くなく、5000年くらい前のものらしい。


宗教と芸術の始まり


大学受験で先史時代が出題されることは少ないと前に書いたけど、
その中でたまに出題されるのは、クロマニョン人による洞窟絵画だろう。
狩りなどの生活を、洞窟内に描き、「芸術の始まり」とも言われている。
ネアンデルタール人が描いたという証拠はない。
とりあえず、スペインのアルタミラ、フランスのラスコーは覚えておこう。
こうした洞窟壁画は世界各地にあるが、中には数百年前に描かれたものもあるので、一概にすべて先史時代のものとは言えない。


こうした洞窟絵画がなぜ描かれたか、
推測でしかないのだが、学者たちは「狩猟の成功を願う呪術的な作品」としている。
そこに描かれているのは、ウシ、トナカイ、ゾウ、ウマ、シカ、クマ、サイなど、このころにまだヨーロッパにまだいた動物も含まれているだけでなく、動物の仮面をつけた呪術師(シャーマン)らしき者もいる。
すでに今でいう「世界観」もあるようで、宗教や神話の萌芽が見られる。
多分、この絵の前で儀式なども行われていたのだろう。
死生観や神や精霊といった概念も生まれていたと思われる。


オーストリアのヴィレンドルフで発掘され、

「ヴィーナス」と名付けられた高さ11cm女性の石像も、この2万年前ほどのもの。
でっぷりと太った女性のこの小像は、多産や豊穣を象徴するものとして、
呪術的な願望が込められているとされている。
きっと見たことがある方もいるだろう。

人類は世界に拡散し、それぞれ切り離されたが、

その前にすでにお洒落をし、宗教や芸術もあったと考えると、もうすでに我々にかなり近い精神性は持っていたようだ。


専門・分業化の始まり


世界史の教科書では触れられていないが、
現在の我々の繁栄の必須条件である「専門・分業化」も、
この頃に始まったようだ。
それまでにも男性が「狩猟」、女性が「採集」という分業は、
ホモ・サピエンスの登場以前、
すでに原人や旧人の段階であったと推測されている。
男性が動物を狩っている間、女性は植物の根を掘り、
果物を集めるだけでなく、動物の骨から道具を作り、
衣服を作り、調理をしていたのかもしれない。
最初の分業だ。
しかしそれだけぐらいで、何十万年も人類は保守的で、
変化のない生活を送っていた。

しかしそれ以上の技術の進歩には、
人類には分業・専門化が必要だった。
一人で、食料の確保から調理、道具や服、

家をいちから作ること想像してみてほしい。


しかし分業・専門化が成立するには、
大きな集団が必要だった。

小さな集団では、誰かが革新的な方法を発明しても、
その継承者がいなければその技術は退化し、
やがて消えてしまう。たとえば、たった数十人の集団だと、
次の世代に道具を作るのが不得意なものや怠け者が多かったら、次の次の世代にはもう高度な道具は作れなくなるだろう。
しかしそれが大きな集団なら、継承されるチャンスは多く、
より有能なものがより高度なものを生み出すかもしれない。
これは同じ集団だけというわけではなく、
いくつかの小集団が高い密度で住んでいる地域でも、
物の交換をしている間に技術が受け継がれることもある。


「技術の退化」の例でよく使われるのが、タスマニアだろう。
1万年前、海面の上昇によってオーストラリアから切り離されたタスマニアでは、その後、オーストラリアのアボリジニが持っていた多くの技術を失った。
寒さ対策の衣服、釣り針、針、槍投げ器、魚捕りの罠、
海洋を渡る舟などだ。
イースター島などの孤立した島でも、似たような話がある。
つまり、他の集団との交流がなく、少数で孤立すると技術の継承がなく、人間も退化していくこともあるということだ。

我々も現在の文明を維持するには、ある程度の人口が必要だ。
高度な技術を維持するには、専門職が社会に必要
食料の確保以外に、時間と労力をかけられる専門職が社会に現るのは、人の間に「分業」という概念が生まれなければならない。
つまり、その前に人類の間に「交換」が始まっていたのだ。
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by mahaera | 2018-05-26 13:51 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]先史時代/1.人類の誕生 その6 最終氷期の終了と温暖化

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(写真)アメリカ先住民の展示が充実している、ニューヨークの自然史博物館。でかい。

最終氷期、終わる

最終氷期のピークは2万年前で、それから徐々に
地球の温暖化が始まり、海面は上昇していく。

約1万5000年前にはベーリング陸橋が海峡になり、
以降、アメリカ大陸は切り離された

また、同じ頃、東南アジアにあった陸地の

スンダランドも水没し、現在のような島々に分かれた
約1万3000年前には日本列島が大陸から切り離された
つまり、現在のユーラシアとアフリカ、アメリカ、

オセアニアに、人類は大きく分断され、以降、

15世紀末までほぼ1万6000年間、別々の歴史を歩むことになる。

約1万年前(紀元前8000年)には完全に氷期が終わった。
辛い時代を耐え抜き、ホモ・サピエンスのみになった

人類は世界中に分布しており、
人口はこの頃には500万人にまで増えていた


この時点では、一部の地域では農耕の原型は始まっていたが、基本的には現生人類は狩猟採集民で、原人と生活様式は変わらなかった。

ただし、進みは遅かったが原人に比べると、

1万年前までに技術や経済、社会のシステムは進歩していたようだ。


中石器時代と狩猟具の発展


旧石器時代から新石器時代までの移行期である、
2万年ぐらい前から農耕の開始まで(地域によって時期は異なる)を、「中石器時代」と呼ぶこともある。
この時期、石器はより薄く細い、細石器が使われるようになった。
石器は単に手頃な石を使うだけではなく、
加工されてナイフのようなもの、槍のようなものなど、
目的に応じて使い分けられるようになっていた。
より加工しやすい骨や象牙も積極的に道具として

使われるようになり、槍の先端や針に使われた。


槍投げ器(アトラトル)も1万8000年前には生まれていた。
槍投げ器は、槍を引っ掛ける木の棒のようなもので、
弓矢や投石器に取って代わられるまで、
世界的に広く使われていた狩猟具だ。
これは、てこの原理で力も入らず、ただ槍を投げるよりも飛距離が延び、100m以上槍を飛ばすことができる。
僕は昔、漫画の「MASTERキートン」に登場して覚えた。
キートンがタクラマカン砂漠に放置される回だ(笑)。
近づくと危ない大型の野生動物も、
遠くからこれで倒していたことだろう。


狩猟に明け暮れていたネアンデルタール人の骨は
骨折が多いことで知られているが、
それは獣とガチで接近戦で格闘することが多かったから。
槍投げ器なら遠くから致命傷を負わすことができるので、
当時では銃を発明するぐらいの破壊力があったはずだ。
やがてヤジリ付きの弓矢が槍投げ器に代わるが、

アメリカ大陸の先住民はヨーロッパ人が来るまでは使い続けた。

槍投げ器が弓矢に変わった理由には、
世界的な気候の変化もある。
氷期が終わった最初の数千年は、
氷河が溶けた後に広い草原地帯が広がっていたろう。
しかし草原は次第に大森林地帯に変わっていった。
飛距離を稼ぐ槍投げ器は開けた草原向き。
森林地帯になれば、飛距離よりもハンディでスピードが速く、正確に狙える弓矢の方が勝る。
落葉樹の森が広がった日本の縄文期でも1万3000年くらい前には、槍投げ器は弓矢に代わられたようだ。


衣服と装身具

7万年ほど前、寒さから身を守るために作られた衣服も、
最初は毛皮をまとっただけだったろう。
それが次第に皮をなめしたり、
紐で留めたりするようになった。
暑い地域では、植物を使った簡単な腰蓑のようなものが生まれていたろう。
紐は革紐や、植物の繊維をよったものが使われ、網や罠が作られた。
ここまでくれば、袋やカゴも生まれ、物を運んで移動することもできた。


装身具も3万年前には作られていた。
穴を開ける細い針や、結ぶ紐がなければ首から下げることはできない。
最初は骨や象牙、貝などに穴を開けてそのまま使っていたが、やがて骨からビーズを作るようになった。
2万年前には、専門と兼業でやらなければ作れないほど、

当時の道具では精巧な装身具が作られている。
つまり、食料調達のみに精を出す人、

道具や装身具を作る人など、ある程度専門化が進んでいたようだ。


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by mahaera | 2018-05-25 10:55 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]先史時代/1.人類の誕生 その5 ホモ・サピエンスの拡散と先行人類の絶滅

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(写真)中米のマナグアのアカウアリンカ遺跡にある、6000年前(前4000年)とされる人類の足跡。時代はずっと下るが、大昔から人類は徒歩で世界に拡散していった。

ホモ・サピエンス、世界を見る

猿人や原人は舟を作る技術はなかった
オーストラリアに渡るには、途中、海を80kmほど越えなくてはならなかったが、その頃にはカヌーなどの簡単な舟を操れるほどの技術はあったのだろう。

ホモ・サピエンスがオーストラリアに上陸した時、
そこは大型動物の宝庫だったが、大殺戮の後、
オセアニアにいた大型のトカゲや飛べない鳥は絶滅してしまう。

一方、アジアを北上していったグループは、やがてベーリング陸橋を徒歩で渡り、約1万5000〜3000年前にアメリカ大陸へ上陸する。
 
このころにはすでにアジア方面に進出していた
ホモ・サピエンスは、モンゴロイド系の外観を
持っていたようだ。アジアにいた旧人のデニソワ人と
多少の混血はあったのかもしれない。

アメリカ大陸に入り、動物を追って進む彼らのスピードは速く、
わずか3000年(1万2000年前)で、
南米南端のフエゴ島にまで到達する
前回述べた「ボトルネック効果」で、ホモ・サピエンスの遺伝的多様性は狭まっていたが、さらにその中の少数のグループがアメリカ大陸に渡り(数百家族だったのかもしれない)、それが1万5000年かけて数千万人に増えたようだ。

その証拠というわけではないが、ネイティブアメリカンは血液型がほぼ全員がO型という。アメリカに渡ったグループにO型が多かったためだろう。


ネアンデルタール人との交配はあった?

さて、7万前から1万年前にかけて
ホモ・サピエンスが世界中に拡散していく間、
世界各地には先行して渡っていた原人の末裔や
ネアンデルタール人(西アジアからヨーロッパ)、
デニソワ人(ロシア〜東アジア)も並行して暮らしていた。

異なる種の人類が同時代に生きていたのだ。

しかし次第にホモ・サピエンス以外は劣勢になっていき、
ネアンデルタール人は3〜2万年前に絶滅してしまう。

ホモ・サピエンスによる虐殺があったのか、
単に彼らが生存競争に負けたのかははっきりしない。

種としてはホモ・サピエンスとは別種なので交配はなかったという説が長らく定説だったが、遺伝子研究が進み、2016年に現在の人類のDNAの中にネアンデルタール人のものが1〜4%ほど含まれているという研究発表がされた。

逆に、サハラ以南の人々には、ネアンデルタール人の
DNAはまったく含まれていなかったという。

それが正しければ、ホモ・サピエンスはアフリカを出てまもなく、西アジアでネアンデルタール人と交配し、その子孫が世界に拡散したことになる。

つまり、現在、アフリカのサハラ以南に住む人々は、
100%原ホモ・サピエンスの血を最も強く受け継いでいる人々と言っていいだろう。

ちなみに日本人は、平均して2%ほどネアンデルタール人のDNAが残っているそうである。

一方、デニソワ人は2008年にシベリアで発見され、
2010年に未発見だった旧人のグループだと発表されたばかりなので、これからの研究が待たれるところ。

研究では、漢人、チベット人、メラネシア人などにそのDNAが含まれているそうだ。

やはりホモ・サピエンスと交配したのだろうと推測されている。

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(写真)ホモ・フロレンシアスの頭骨の化石のレプリカ(インドネシア國立博物館/ジャカルタ)

熱帯のホビット

2003年、インドネシアのフローレス島で、原人の子孫と推測される化石が見つかった。

「ホモ・フロレシエンエス」と名付けられたこの種が生きていたのは、5万年前。

すでにこの地域にはホモ・サピエンスが進出していたが、
それとは異なる人々で、大人でも身長は約1mしかない。

ちょうどこの発見の頃、ヒットしていた映画に
ちなんで「ホビット」という愛称も付けられた。

島に孤立して暮らすうちに矮小化していったのではないかと推測されているが、まだ研究が進んでいる最中だ。

彼らは島にいた小型のゾウなどを狩って暮らしていたようだ。

大型哺乳類の絶滅

ホモ・サピエンスが世界に拡散していった時代
(7万年前〜1万年前)に絶滅したのは、
ホモ・サピエンス以外の人類だけではなかった。

それまで生きていた大型哺乳類の多くが消えたのだ。

これは「第四紀の大量絶滅」として知られるもので、

ゾウ類ではマンモスを筆頭に、マストドンやステゴドン、
デイノテリウムなどが滅んだ。

少なくともマンモスは、数千年前まではまだ生息しており、人間の狩りの対象になっていたことは知られている。
生きていたらと想像が膨らむのが、

南米にいた6〜8mという巨大ナマケモノのメガテリウムと、

3mの巨大アルマジロのグリプトドンだ。

これらのアメリカ大陸にいた大型獣は、
人がアメリカ大輪に到達して以降、滅んだ。

ウォーレス線を越えたオセアニアへは海が行く手を阻み、

哺乳類が陸路で到達できなかったため(ネズミとコウモリを除く)、3mもある巨大ウォンバットのディプロトドン
2mの巨大カンガルーのプロコプトドンなどの有袋類が繁栄していたが、ホモ・サピエンスの到達以降、それらは絶滅した。

他にも、ライオンもトラもトカゲももっと巨大な種がいたが、たいてい1万年前までには絶滅している。

それらすべて人類によるものなのかは、はっきりしないが、気候の変動など、様々な要素が組み合わったものかもしれない。

それにしても、今生きていたらと、見れないのが残念だ。

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by mahaera | 2018-05-23 10:42 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]先史時代/1.人類の誕生 その4 トバ・カタストロフと人類の出アフリカ


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(写真)カルデラ湖となったトバ湖。全体像は衛星写真で見るしかないが、火口の縁がこんなに高いということから、全体をご想像ください。温泉もあります。


7万年前に起きた「トバ・カタストロフ」とは?


インドネシアのスマトラ島に、世界最大のカルデラ湖があることをご存じだろうか? 

長さ100km、幅30km、面積は1103平方キロメートルで、

琵琶湖の約2倍、貯水量は約9倍もあるが、実はこれは超巨大噴火の跡なのだ。


7万年前、地球に再び氷期が訪れた。

これは「最終氷期」と呼ばれ、1万年前まで続いた。

最近(1998年)の研究では、7万3000〜4000年前に起きた、

トバ火山の噴火(トバ湖はこの時にできた)が、

氷期の開始だという(トバ・カタストロフ理論)。

この噴火は、過去10万年間では最大の噴火で、火山爆発指数では最大の「カテゴリー8」だ。

噴煙は地球全体を覆い、離れたインドでも2mの火山灰層ができたほど。

地球上の平均気温も3〜5度も下がり、寒冷化が数千年続いた後、

地球はそのままヴュルム氷期に突入してしまう。


ユーラシア大陸の北部や北アメリカ大陸は氷に覆われた。

寒冷化は一方で熱帯の乾燥化を加速させる。

熱帯雨林はサバンナに変わり、サバンナは砂漠に変わっていった。

陸が氷で覆われたため、海水面は最大で120メートル低下した。

現在の東南アジアの半島部とジャワ島やスマトラ島、

フィリピンの一部は陸続きになり、スンダランドを形成した。

また、オーストラリアとニューギニアもつながった。

インドとスリランカ、ソマリアとアラビア半島、北海道と樺太が陸続きになり、東シナ海の大部分も陸地になった。

べーリング海峡は陸橋となり、アジアからアメリカへは陸続きで行けるようになった。


この最終氷期が始まるまでにも、すでに何度かの氷期があり、

絶滅した種もあり、地球全体の原人たちの数はかなり減っていたようだ。

しかし、アフリカにいたホモ・サピエンス、ヨーロッパのネアンデルタール人、アジアのデニソワ人(ネアンデルタール人の近種)以外は、このトバ・カタストロフにより絶滅したのかもしれない。


わかっているのは、7万年前にはアフリカにいたホモ・サピエンスは、

1万人以下のグループ(少なく見積もる学者によれば2000人)にまで減少していたようだ。人類は絶滅の危機に瀕し、最大のピンチである。
この時にいわゆる「ボトルネック効果」が起きた。

ボトルから中身を取り出そうとすると、狭い口で一度数が絞り込まれる。

現在の人類は、この時に一度遺伝子が絞り込まれ、そこから増えたのでもともとあった多様性が失われ、少数の遺伝子の特徴を引き継いでいるというのだ。

私たちは世界を見ると人間の容姿は地域で異なり、多様性がすごくあるように感じるが、生物学的にはほとんど遺伝的特徴は均質らしい。

とにかく現在、70億を数える人類だが、遺伝的にはすべて2000人から1万人程度に減少していたホモ・サピエンスの子孫であることは確かなようだ。


トバ・カタストロフが人類にもたらした影響に「衣服の着用」がある。

寒冷化により、約7万年前にヒトは衣服を着るようになった(動物の毛皮だろう)。それがなぜわかるかというと、DNA研究(2003年発表)により、ヒトに寄生するシラミがアタマジラミとコロモジラミに分化したのが、この頃だというのだ。いや、いろんなことがわかるもんである。


ホモ・サピエンスの「出アフリカ」

 ともかく約7万年前、アフリカの乾燥化が進み、わずかに生き残っていたホモ・サピエンスの一部がソマリアからアラビア半島に渡り、拡散を始める。
このグループはインドや東南アジアを抜け、6万年前にはオーストラリアとニューギニアに達した。
一方、エジプト付近にいたグループは4万年ほど前に北上し始め、やがてヨーロッパに達した。このグループがクロマニョン人とも呼ばれる人々だ。

 移動を始めた原因は、乾燥化でアフリカが住みにくくなったためかもしれないし、マンモスなどの大型動物を追っているうちに移動していたのかもしれない。
 しかし気候の変動の影響は大きく、ホモ・サピエンスは絶滅の一歩手前だった。

今、全世界に70億いる人類が、時計の針を巻き戻したら、コンサートホールか武道館に入るぐらいの人数しかいなくなってしまうのだ。種としてはギリギリの数だ。


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by mahaera | 2018-05-22 11:28 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編] 先史時代/1.人類の誕生 その3 新人は旧人からの進化ではない?

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昔、世界史を学習した人(私たち親世代)は、人類は
「猿人→原人→旧人→新人」と進化し、

私たちは最後の「新人」であると覚えた。
ところが、最近の研究では進化は一方向ではなく、

上記の4つはそれぞれ“別な種”であるとされている。
つまり現在の人類は、分化していったいろいろな種のうちの一つで、同時代に原人も旧人も新人も暮らしていたらしい(もしかしたら猿人も)。

だから、現在のアジア人は北京原人やジャワ原人の子孫ではなく、

すべて現生人類であるホモ・サピエンスの子孫だ。
そのため、最近の学会では「旧人」という言葉は使用されなくなってきているらしい。
それでは、「旧人」として習ってきたネアンデルタール人は、

我々の祖先ではないのだろうか。


最新の教科書でも、依然として「約60万年前に、より進化した旧人が出現した。
ヨーロッパに分布したネアンデルタール人がその代表である」との表現があるが、このネアンデルタール人はホモ・サピエンスの先祖ではなく、ホモ・サピエンスの前の段階であるホモ・ハイデルベンルゲンシス(ハイデルベルグ人)から分かれた別の種であるという学説が現在は学会では主流だ。
なので、数年以内に教科書の記述が大きく変わる可能性もあるが、今のところ試験には出ない(笑)。

ホモ・ハイデルベンルゲンシスは、60万年前から40万年前に現れた種で、身長180cmと大柄。
見つかったのがドイツのハイデルベルグだったので、この名前が付けられた。しかし、のちに東アフリカでも同種の骨が見つかる。
つまり、ホモ・ハイデルベンルゲンシスはアフリカ発祥で、そこからヨーロッパに渡ったと推測されている。


これが原人なのか、次の段階の旧人なのかは意見の分かれるところらしいが、今のところ「ギリ原人だがもう少しで旧人に進化」(笑)というところに落ち着いている。
脳容量はだいぶ現生人類に近くなり、剝片石器も使っていたようだ。

このホモ・ハイデルベンルゲンシスは、ヨーロッパでは、

約20万年前にネアンデルタール人と入れ替わった。

東アジアに向かった人々は、

やがて「デニソワ人」になったと言われている。
デニソワ人は、2008年にロシアのアルタイ地方で発見されたばかりなので、いまだ研究中だが、ヨーロッパのネアンデルタール人のように、ホモ・サピエンスが来る前は西アジア以東に分布していたようだ。


ネアンデルタール人の登場


ネアンデルタール人は、西アジア(今のパレスチナあたり)から

ヨーロッパにかけて、骨が発掘されている。

名前の由来は、初期に発掘されたドイツのネアンデルタール(ネアンデル谷)から。

地球が氷期と間氷期を繰り返す時代に寒さに適応し、

居住地域を南から北へと広げていった。

彼らは狩猟採集生活を行い、数種の剝片石器を目的に応じて使い分けていた。

体毛は薄くなり、毛皮をまとっていた。

言語があったかどうかはわからないが、簡単な言葉の疎通は可能ではあったかもしれない。

家族や少人数のグループで暮らし、すでに病人の介護をしていたとみられる様子も見られる。

イラクでは、歯が抜けた老人の化石が発見された。

つまりその歳まで、誰かがお世話していたということだ。


意外にも、ネアンデルタール人の脳容積は現代の人類よりもやや大きく、死者を埋葬する習慣も持っていた。

見た目だが、かつての毛むくじゃらの姿は疑問視されていて、現在では肌が白く、現在のヨーロッパ人に似ていたかもしれないとそれている。

北方に長く暮らすうち、皮膚や髪の毛の色素が変わっていったと。

このネアンデルタール人は、かつてはホモ・サピエンスの先祖と言われていた時期もあった。

これは世界各地にいた旧人が、別々にホモ・サピエンスに進化したという、「多地域進化説」によるものだ。北京原人の子孫がアジア人に、ジャワ原人の子孫がアボリジニに、ネアンデルタール人の子孫がクロマニョン人になったという具合だ。

年配の方は、今でもこの説で覚えている方もいるだろう。

しかしそれに対して、ホモ・サピエンスはアフリカから世界に拡散したという「アフリカ単一起源説」が1987年に発表される。

そしてヒトのDNAの解析ができるようになった現在では、後者が正しいと決着がついている。現在の人類の祖先は、20〜14万年前にアフリカに現れたホモ・サピエンスが世界に拡散したのだ。では、なぜホモ・サピエンスが拡散したか。それは7万年前に起きた“あるできごと”が原因なのだが、それはまた。


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by mahaera | 2018-05-21 16:14 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]先史時代/1.人類の誕生 その2 原人の登場

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(写真)ジャワ原人の頭骨のレプリカ(サンギラン博物館)。かつてはピテカントロプスと言われたが、今はホモ・エレクトゥスの亜種。脳の容量がまだ小さいことがわかる。火は使用していなかった模様。


約240万年前・原人の登場


258万年前から1万年前まで、地球は「更新世」という15回にわたる断続的な氷河時代に入り、その間、氷期と間氷期が繰り返された。

氷期には北極と南極の氷の面積が増え、海面が下がり陸地面積が増える

その間、陸地の氷も増え、大気の水分が循環しにくくなり、暖かい地域では乾燥化が進んだ。

環境の変化により、多くの種が絶滅したり、

新たに環境に適応した新しい種が生まれたりすることもあった。


アフリカに「原人」が登場したのもそんな時代だった。

原人の登場も以前は約180万年前とされていたが、

2013年の教科書では約240万年前にさかのぼっている。

原人は脳の容量が猿人の約2倍になり、石器の他にも火を使用するようになった。

身長は140〜160cm。全身には体毛がまだ生えていた。


有名な原人は、「ホモ・エレクトゥス」

この昔の呼び名である「ピテカントロプス・エレクトゥス」の方が馴染みあるという人は、ある程度の年齢の方(笑)。

ジャズのチャールス・ミンガスの名盤『直立猿人』の原題であり、

1982年に原宿にオープンした“日本初のクラブ”の名前でもある。

しかし現在、学術的にピテカントロプス属は廃止されているので注意だ。


ジャワ原人と北京原人


このホモ・エレクトゥスにはいくつかの亜種がある。

みなさんも、ジャワ原人と北京原人の名前ぐらいは聞いたことがあるはず。

大陸の形は同じでも、氷期には海面が下がるため、

水深の浅い海は陸となり、徒歩で渡れるようになる。

アフリカを出たホモ・エレクトゥスは、現在のソマリアと地続きだったアラビア半島を経由して、東南アジアにあった陸橋を通り、現在のジャワ島に達した。


1891年にインドネシアのジャワ島で発掘されたのがジャワ原人だ。

180〜170万年前にいたというが、いまだ全身の骨は見つかっていない。 

1920年代には北京郊外の周口店で、北京原人の骨が発見された。

しかしその骨は日中戦争中に紛失し、次に北京原人の骨が発掘されたのは1966年のことだった。

北京原人が生きていたのは、ジャワ原人よりも時代がぐっと下がった70万年前。

火や握り斧を使用していたようだ。


この原人たちは夜は洞窟で暮らし、昼間は狩りで暮らしていた。

この時代は、マンモスやマストドンなどのゾウ類も豊富な大型哺乳類の時代でもあり、食べ物には事欠かなかったろう。

こうした大型哺乳類を捕獲するのには、集団で狩りを行う必要があり、頭も使わねばならなかった。

簡単な言語を使っていたという説もある。


火の使用の始まり


この時期から始まった火の使用は、人類の進化において石器の使用に次ぐ飛躍で、

人類が手に入れた最初のエネルギーだった(次は電気だろう)。

暖をとり、獣から身を守り、夜間の活動ができるだけでなく、「調理」が発明されたのだ。


たんぱく質は加熱により、栄養を摂取しやすくなる。

例えば肉を食べる場合、生よりも火を通した肉の方が柔らかくなり、消化も早い。

調理にかかる時間は増えても、食べる時間は短く、体に栄養もより行き渡りやすくなる

また、多くの植物(改良された現代の野菜を想像してはいけない)は、生では有毒成分があり、それまでは食用にならなかった。

しかし加熱により、根菜類なども食用になる。

こうして栄養が体に行き渡るようになったことが、人の脳の発達につながったという説がある(人間は全体で消費するエネルギーの20%が脳に使われているという)。

火の使用が、人間が食べられるものの種類を増やしたことは確かだろう。

「料理によって人間は頭が良くなった」と言えるかもしれない。


続く


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by mahaera | 2018-05-20 10:49 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)