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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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名盤レビュー/ザ・バーズ  The Byrads その3/霧の5次元 Fifth Dimension(1966年)

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1966年3月14日にシングル「霧の8マイル Eight Miles High」発表。B面は「何故 Why」。ジーン・クラーク、ロジャー・マッギン、デビッド・クロスビーの共作で、ザ・バーズの代表作であり、最初のサイケデリックロックとも言われる作品。最高位14位。
シンプルだがかっこいいベースのイントロに続き、マッギンの12弦ギターによる短いけど超かっこいいイントロが始まる。これはよく言われているように、ジョン・コルトレーンのフレーズを意識したもので、ラヴィ・シャンカールにも通じることから、「ラーガロック」とも呼ばれた。まあ、正直コルトレーンの「インプレッションズ」の「India」のイントロとほとんどフレーズも同じ(笑)。
当時はビートルズで言えば、まだ「リボルバー」の前。イギリスでもまだサイケは始まっていなかった。しかしこの「霧の8マイル」からロックは次の次元に移っていき、ビートルズは「ペーパーバックライター/レイン」、ストーンズは「黒くぬれ!」に進んで行く。アルバム未収録になったB面の「Why」でもマッギンのコルトレーンというかインド風のソロが聴ける。


さて、シングル発表後、メインのソングライターであり、リードボーカルでもあるジーン・クラークがバンドを脱退してしまう事件が起きる。表向きは、飛行機恐怖症でツアーに出られなくなったという理由だが、メンバー間で軋轢が生じていたようだ。特にバーズのオリジナル曲の多くをジーン・クラークが書いていたので、印税所得による収入のメンバー間格差が問題になっていたようだ。

アルバムの発売は1966年6月18日。6月13日にはアルバムからの2枚目となるシングルカットでマッギン単独作の「霧の5次元 5D(Fifth Dimension)」が発売。3拍子のフォークロック曲だが、サウンドはすでにサイケに入りつつある。今までになくぶっといクリス・ヒルマンのベースや、隠し味のヴァンダイク・パークスのキーボードもいい味を出している。この「霧の5次元」はアルバムのタイトルにもなり、またA面の1曲目に収録された。

2曲目はトラディショナルの「ワイルド・マウンテン・タイム Wild Mountain Thyme」。コーラスワークとストリングスが印象的。
3曲目はマッギン作の「ミスター・スペースマン Mr. Spaceman」。9月6日にアルバムからの第3弾シングルにもなる。これはサイケというより、のちのカントリーロックに通じるサウンドで、これまたパーズの先進性を感じる。
ちなみにシングルのB面はクロスビー作の「ホワッツ・ハプニング What's Happening?!?!」。Aメロしかないシンプルな曲だが、合間に入るマッギンのサイケなソロがかっこいい。

アルバム4曲目はマッギンとクロスビー共作のロックナンバー「アイ・シー・ユー I See You」。マッギンのソロが、ほとんど「霧の8マイル」と同じなのがご愛敬(笑)。
5曲目は上記の「What's Happening?!?!」。
6曲目の「死んだ少女 I Come and Stand at Every Door」はトルコの詩人Nâzım Hikmetの歌詞によるもの。この詩の方の日本語タイトルは「広島で死んだ少女」。原爆で7歳で死んだ少女が平和を訴えるという反戦詩だ。

B面に移り1曲目は、シングル「霧の8マイル」が収められた。
2曲目はジミヘンでもおなじみのビリー・ロバーツ作「ヘイ・ジョー」のカバー。当時、この曲は流行っていたようで多くのミュージシャンがカバーしている。ここではクロスビーのリードボーカルによるシンプルなアレンジだが、せわしないギターがいい感じ。
3曲目はメンバー4人の共作による「キャプテン・ソウル Captain Soul」。まあ、3コードのインストブルースジャムで、そんなに面白くない(笑)。ハーモニカを吹いているのは脱退したジーン・クラーク。
4曲「ジョン・ライリー John Riley」はトラッドのアレンジ。ストリングがタビングされている。
B面最後の5曲目「ジェット・ソング 2-4-2 Fox Trot (The Lear Jet Song)」はマッギン作の、ワンフレーズだけ繰り返す曲だが、効果音がコラージュされている。宇宙船のスペース音が、掃除機の音にしか聞こえない。

このアルバムはビートルズで言えば『リボルバー』のような感じで、フォークロックからサイケに入る過渡期のアルバムだろう。メンバーで言えばソングライターのシーン・クラークが抜け、その分、マッギンとクロスビーの曲が増えてきた。
サウンドで言えば、バーズサウンドの顔だったマッギンの12弦ギターのアルペジオがなくなり、コルトレーン風のリードを多用。あとはベースのクリス・ヒルマンが存在感を増してきたことだろうか。
1966年の代表的なロックアルバムはビートルズの『リボルバー』、ストーンズの『アフターマス』、ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』、ビーチボーイズの『ペットサウンズ』などがある。


by mahaera | 2019-05-22 10:49 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

最新映画レビュー『マルリナの明日』5/18より公開中


インドネシアの僻地。荒野の一軒家に一人暮らすマルリナのもとに強盗団がやってくる。
強盗団の首領は、マルリナから金と家畜だけでなく、体も奪うと告げる。
その夜、マルリナは料理に毒を入れ、男たちを殺害。
首領の首をナタで切り落とす。
翌日、首を持って村の警察に向かうマルリナ。
しかし警察は動こうとしない。一方、強盗団の残党が首領の仇を討とうと、マルリナを追っていた。

日本では映画祭ぐらいでしか公開されない、珍しいインドネシア映画。それも都会を舞台にしたラブコメやアクションではなく、人も少ない辺境の島でのウエスタン風アクションだ。
ストーリーは、一人ぐらしの未亡人マルリナが強盗団に反撃するが、そのために命を狙われるというシンプルなもの。
それに臨月を控えた友人のノヴィが絡む。
出てくる人物はごくわずか。とにかく一つの画面にたくさん人が出てくる町や村のシーンはないので、どの程度の規模の村なのかわからないがわからないが、バスが走っているので、どこかには通じているのだろう。

丘上に立つ一軒家にひとり住むマルリナ。
映画が始まって部屋の中が映し出されると、部屋の中に一体のミイラ化した死体が座っているのに驚く。
これはマルリナが殺したわけではなく、彼女の夫。
この映画の舞台のスンバ島では人が死ぬとすぐに埋めず、お金がたまって盛大な葬式ができるまで、死者をミイラ化して残しておくという風習がある。
つまりその間、何年も死者は生者と一緒に暮らすことがあるのだそうだ。
また、家の外にはマルリナの子供の墓がある。
生者と死者の距離が近いのだ。

インドネシアというと緑豊かな熱帯雨林をイメージすると思う。確かに国土の多くはそうだが、舞台となるスンバ島エリアは、オーストラリアからの乾燥した風が吹くため、大地は土が露出したサバンナ気候。
世界で一番大きなトカゲが棲むコモド島などもこの海域にあるため行ったことがあるが、東南アジア的な風景からはほど遠い。本作がどこかウエスタン風なのも、こうした風景がもたらすものが多い。今でもスンバ島では強盗団が出没するという。

映画に出てくる強盗団はウエスタンと違って、そこらにいそうな冴えない男たち。
首領でさえ小柄。インドネシアやタイ、インドもそうだが、熱帯ではヤクザものも割と普通の格好をしているので、ぱっと見、わからない。

また、この映画は“強い女”の映画でもある。
強い女と言っても、アメリカのアクション映画のように、殴ったり撃ったりと肉体的に戦うわけではない。
じっと耐え忍んで抵抗せず、相手が油断した時に反撃するのだ。強盗のために食事を作らされると(定番のチキンスープ飯である「ソト・アヤム」)、その中に毒を入れて毒殺。犯されそうになると、ナタで首を切断(いつもチキンの首を切断しているので慣れている)。

中盤から物語に絡んでくるもう一人の女性、ノヴィは臨月だが夫から虐待されている。
夫はノヴィの浮気を疑い、去っていく。
物語のクライマックス、ノヴィの出産をマルリナが手伝う。
男どもの死と新たな命の誕生。
この映画の中では、男どもは全く役に立たないか、悪者かどちらかだ。目の前にある困難を克服するには、男に頼るのではなく、女同士の協力が大事なのだ。

勧善懲悪でもなく、派手なアクションシーンがあるわけではない。語り口が滑らかでもない。
しかし、この土地ならではの不思議な魅力があるのが、本作の魅力。画面に映し出された風景が、作り手たちの力量を超えて私たちに訴えてくる。そんな作品だ。
★★★


by mahaera | 2019-05-19 11:22 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『ガルヴェストン』 アメリカのノワール小説をフランス人女優が監督。独特の味わいを残す小品


解説を読むまで知らなかったのだが、「TRUE DETECTIVE」と評判のいいTVシリーズのクリエイターであるニック・ピゾラット。
その彼による小説『逃亡のガルヴェストン』も好評で(アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞候補にもなった)、本作はその映画化だ。
ガルヴェストンも知らなかったのが、実際にあるテキサス州ヒューストン郊外にある海沿いの町。主人公の思い出の町として本作に登場している。

1988年のニューオーリンズ。組織で働くロイ(ベン・フォスター)は、ボスの勧めで行った病院でレントゲンを見せられ、自分の命が短いとさとる。ボスの命で行った仕事先で、ロイは待ち伏せを食らうが反撃。女絡みのトラブルによる、ボスの裏切りだった。ロイはそこで囚われていた若い女性(エル・ファニング)を連れて逃げだす。彼女の名はロッキー。家出をして、金に困って娼婦をしていたという。ロッキーを見捨てることができないロイは、彼女と彼女の小さな妹を連れ、逃避行を続けることに。。

宣伝費もあまりかけられず、ひっそり公開されることになるノワールの小品。
組織に裏切られ、死期の近づいた犯罪者が、最後に行きずりの女と逃避行をする
主人公は癖のある顔をして悪役(『3時10分、決断のとき』など)が多いベン・フォスターなので、粗雑で暴力的、なおかつ意志が弱い男にはぴったり。
その彼が愛を注ぐのが、現在絶好調の女優エル・ファニング。美人顏ではないが、とにかく華があるというか、本作でも彼女は輝いている。

犯罪映画だが、ちよっとテイストが違うのは、監督がフランスの女優メラニー・ロラン(『イングロリアス・バスターズ』のユダヤ人女性役)だからか。アクションよりも、二人のさりげない情感を描いている。70年代のフランスのノワールもののようでもあるが、そうした作品を見慣れていない人には、かったるく感じるかもしない。
また、スカッとしない終わり方も、70年代的だが、それがちょっと味のある作品に本作を仕上げている。
★★★

by mahaera | 2019-05-18 11:13 | 映画のはなし | Comments(0)

名盤レビュー/ザ・バーズ The Byrads その2 ターン・ターン・ターン Turn! Turn! Turn!(1965年12月)

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アルバムに先行し、10月1日に先行シングル発売されたタイトルトラックの「ターン・ターン・ターン」が、12月4日に全米1位。B面はジーン・クラーク作の「シー・ドント・ケア」

「ターン・ターン・ターン」はフォークシンガーのピート・シーガーの1950年代作のカバー。旧約聖書が元なので、歌詞は名言のオンパレードだ。

レコード会社は、ディランの「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」のカバーをシングルに望んだが、バンドはディランではなく、シーガー作を選んだ(ディランの方は現在はボーナストラックで聴ける)。


アルバムは11月6日発売。ディランのカバーは2曲。その他のカバー3曲と、ジーン・クラークの3曲、マッギンの2曲(共作含む)、タイトルトラックを加えた全11曲が含まれている。オリジナルの5人編成最後のアルバムでもある。

ベストトラックは、やはりタイトルトラック「ターン・ターン・ターン」。12弦ギターのサウンドもコーラスワークもバッチリ。初期のベスト曲の一つだ。フォークから一歩前進してロック的なリズムだが、これはこのアルバムからメンバーが録音で楽器演奏をするようになったこともある(前作はスタジオミュージシャンの演奏が大半だった)。「涙の乗車券」的な12弦ギターのアルペジオも印象的だ。

2曲目はマッギン作の「It Won't Be Wrong」で、このアルバムから徐々にマッギンの曲作りが見られるようになってきた。この曲はシングルのB面にもなったが、そのA面曲がこのアルバム3曲目ジーン・クラークによる「Set You Free This Time」で、Aメロはコーラスなしなのでジーンの声質がわかる。ロックよりもポップス的な明瞭な声だ。この2曲は翌1966年1月10日にシングルとして発売。最高位79位と、シングルとしてはパッとしない出来に。なぜ、地味なこの曲をシングルに選んだのか謎。なので一ヶ月後の2月にはAB面を逆にして再発。「It Won't Be Wrong」が63位に。


4曲目はディラン作の「Lay Down Your Weary Tune」だが、ディランのバージョンは1985年までレコード未発表。マッギンのリードボーカルでいい感じだ。
5曲目はフォークの伝統歌「He Was a Friend of Mine」で、これもマッギンのボーカル。ドラがなくタンバリンがアクセントを入れるだけのフォーキーなムード。


B面に入り、1曲目はバスドラが軽快な8ビートを打つロック曲「The World Turns All Around Her」。ジーン・クラーク曲で、フォークロックと言うより、ロックに近い。
2曲目はエラ・フィッツェラルド、ジョーン・バエズ、ウィリー・ネルソンなど多くの人々がカバーしている1955年発表のスタンダード曲「Satisfied Mind」。リズムは三拍子で、ドラムの代わりにタンバリンが静かにアクセントを入れるだけ。
3曲目はジーン・クラークのやはり3拍子曲「If You're Gone」。ペダルで鳴り続ける低音のバグパイフ風の音が印象的。
マイナーな曲が続いた後の4曲目は、軽快で明るいディラン作の「時代は変わる」。リードボーカルはマッギン。オリジナルは3拍子だったが、ここでは4拍子に変えている。
5曲目はマッギンによる「Wait And See」。最後の6曲目がフォスター作曲による「おお、スザンナ」。西部劇でもおなじみの曲のカバーだ。

このアルバムにより、すっかりフォークロックの代表的なバンドとなったザ・バーズだが、この後、バンドの顔でソングライターもあるジーン・クラークの脱退を迎えることになる。


by mahaera | 2019-05-16 14:38 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レビュー/ザ・バーズ The Byrads その1 ミスター・タンブリン・マン Mr. Tambourine Man(1965年6月)

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不定期で気分転換に書いている名盤レビュー。今回からはしばらくは、ザ・バーズ  The Byradsのアルバムが続く予定です。ビートルズ、ビーチボーイズ、ストーンズと並ぶロックバンドですが、日本では知名度は今ひとつ。まずはデューアルバムから。


●ミスター・タンブリン・マン

 Mr. Tambourine Man(1965年6月)

アメリカンロックバンド、バーズの記念すべきデビュー作。アルバムの1曲めであり、シングルヒットしたディラン作のカバー「ミスター・タンブリン・マン」をタイトルにしたアルバム。
1965年4月12日に発売されたシングルは、英米でNo.1ヒット。B面は「I Knew I'd Want You」。

ザ・バーズの結成のきっかけは、デビュー前年の1964年にビートルズの映画『ハード・デイズ・ナイト』を観て衝撃を受けたフォーク系ギタリストのロジャー・マッギンが、アコギとバンジョーを売ってリッケンの12弦ギターに持ち替え、ロックバンドを結成したことに始まる。
最初のメンバーは、ロサンゼルスのトゥルバドールで出会ったジーン・クラークとデヴッド・クロスビー
3人ともボーカルだったので、3声コーラスが売り。
そこにリズムセクションとして、ベースのクリス・ヒルマン(加入まではマンドリン奏者だった)、ドラムにマイケル・クラーク(コンガ奏者をしていた)が加入。
二人ともそれまでベースもドラムも経験がなかった。
バンドはジェット・セットJet Setと名乗り、1964年にエレクトラからデビューしたが、売れなかった。
やがて年末にコロンビアと再契約が決まり、名前をザ・バーズに変更する。
The Birdsを一文字変えて、The Byrdsにしたのは、ビートルズがヒントだという。

「ミスター・タンブリン・マン」のシングルの録音は1964年1月20日。楽器を演奏しているのは12弦ギターのロジャー・マッギンのみで、他の楽器は、グレン・キャンベル、リオン・ラッセル、ラリー・ネクテル、ハル・ブレインといった60年アメリカンロックを作ったスタジオミュージシャンたち。
アルバムもスタジオミュージシャンが演奏している。
ディランのバージョンは一ヶ月前に発売されたばかりだったが、ライブで披露していた。マッギンは発売前にデモテープを手に入れ、リズムを変更。
もともとは4番まである長い曲だが、バーズのバージョンは、サビ+2番+サビといいとこ取り
イントロの格好よさと、ハモりたくなるコーラスワークのアレンジで、大ヒット。

意外なことにマッギンは当初、ディランのファンではなく、マネジャーから言われてディランのカバーをすることにしたという。インタビューでは、グリニッジビレッジでマッギンが歌っていた頃、ディランはすでに女の子に囲まれるスターで、自分には誰もファンがおらず、嫌っていたという(笑)。

セカンドシングルは、同じくディランのカバー「オール・アイ・リアリー・ウォント」が6月15日に発売(録音は3月)。
最高位40位とはヒットには至らなかったが、ディランは自分の曲で人々が踊っているのを見て驚いたという。
やはり12弦ギターが印象的な仕上がりだ。
B面はバーズの中でも人気が高い、「すっきりしたぜ I'll Feel a Whole Lot Better」。ポップな名曲だ。途中のマッギンのソロもいい。作詞作曲とリードボーカルはジーン・クラーク。トム・ペティのカバーで僕は知った。ビートルズのアルバムに入ってそうな極上のポップソング。

アルバムは同年6月24日に発売。全12曲でディランのカバーは、他に「スパニッシュ・ハーレム・インシデント」「自由の鐘」を含む4曲。ピート・シガーなどのカバーが3曲、ジーン・クラークが5曲(共作含む)という割合だった。

「ミスター・タンブリン・マン」のサウンドは「フォーク・ロック」というジャンルを生み出すほど衝撃を与えた。
ちなみに翌週のチャート1位はビートルズの「涙の乗車券」だ。
偶然だがあれも12弦ギターのアルペジオで、フォークロック的だ。そのため似たようなサウンドのレコードがしばらく次々と作れ出されていくことになる。

有名なのはサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」だ。こちらのオリジナルはアコギとボーカルだけのシンプルなものだがヒットせず、失意のサイモンが渡英中に、ディランやバーズと同じコロンビアレコーズのプロデューサー(トム・ウィルソン)が本人の断りなく、翌年の1965年にバンド演奏をオーバーダブ。しかしこのバージョンが大ヒットし、サイモン&ガーファンクルの解散が免れた。

ビートルズでさえ、バーズの影響を受けたという。
このアルバムに入っている「リムニーのベル」のイントロは、『ラバーソウル』の「If I Needed Someone」とかなり似ているし、途中のギターソロの部分は「Nowhere Man」のソロ部分にも似ている。ハリスンがシタールを始めたきっかけのうちに、バーズのクロスビーと話していたら、彼がシタールやシャンカールを知っていることもあったとインタビューで述べているから、そうなのだろう。つまり「ハード・デイズ・ナイト」がバーズの結成のきっかけとなり、「ラバーソウル」はそのバーズから影響を受けているということだ。

バーズの成功を受けて、ディランもエレクトリック化を目指すが、それは翌年のこと。このころはまだギター一本のフォークだった。
バーズは一躍人気バンドになり、テレビにもよく出るようになる。そしてよりサウンドを煮詰めた次のアルバムの製作へと向かう。(続く)


by mahaera | 2019-05-14 10:59 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

最新映画レビュー『アベンジャーズ エンドゲーム』公開中


もう見る人は見たと思うので、ネタバレにはならないと思う。そろそろ2回目という人もいるのでは。
十数年22作に及ぶアベンジャーズシリーズの完結編ということで、本作単体での評価は難しいが、突っ込みどころはあるもののうまくシリーズを完結させ、また次につなげたと思う。
キャラの紹介と戦いに徹していて派手だった「インフィニティウォー」に対し、本作「エンドゲーム」は大きな戦いはラストにあるぐらい。映画が始まって早々とサノスが退場し、「え?あとの2時間半はどうなるの?」と驚く。続いて「5年後」のテロップ。ここまでは展開の早さについていくのがやっとだ。

残りの前半は、残された人々の喪失感とその後の生活を追う静かなシーンが多い。愛するものや身近な人々を失ったメンバー。そこから立ち直って家族をきずく者もいれば、敗北に囚われている者もいる。そしてスコット・ラング=アントマンが量子世界から戻り、タイムトラベルの可能性を示す。

普通の映画とMCU(マーベルシネマティックユニバース)映画が違うのは、大きなテーマがありそこに向かっていくのではなく、コミックが原作なので各キャラクターにそれぞれ活動の動機があり、それの解消に向かっていくキャラクター映画ということ。

なので主人公となるキャラが、自分の宿命やトラウマを克服するのが終着点となる。今回のアベンジャーズでは、それがアイアンマン=トニー・スタークキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースの二人(他にも退場者はいるが)なのだ。とりわけ、今回はシリーズ最大の功労者アイアンマンの有終の美を飾る作品と言ってもいい。

「父親に愛されていなかった」と思って育ち、そのトラウマを父の死後も抱え、人と親密になるのが苦手だったトニー。しかし「アベンジャーズ」で人々を救うため自己犠牲を、「アイアンマン3」で苦手な子供を克服し、「ウルトロン」では世のためにしたことが失敗し、「シビルウォー」では両親の死の真相の死を知り友情が崩れ、「ホームカミング」ではピーターを息子のように感じと、10年で彼の役柄は少しずつ成長してきた。それが一本の道のように見えるのは、やはりロバート・ダウニーJRの演技力が大きく、彼の「アイアンマン」がなければ、ここまでシリーズが成功したかもと思ってしまう。ラストのセリフ「私がアイアンマンだ」も、シリーズ1作目のラストと呼応し、トニー・スタークの物語は綺麗に閉じられた。

もう一人のシリーズの功労者、スティーブ・ロジャース=キャプテンは組織に裏切られながらも、常に個人と個人の信頼を大事にしてきた。違う時代で活躍することになった彼が信じられるものは、組織や法律ではなく個人なのだ。そしてアベンジャーズシリーズを通じ、彼はアメリカの兵士から個人に戻っていく。“正義”は幻想に過ぎず、戦うのはアメリカや世界のためではなく、愛する人々のため。

個人主義からスタートしたトニーが最後に自己犠牲に変化していくのに対し、自己犠牲からスタートしたスティーブが徐々に個人の幸せを追求していくというテーマも本作で完結する。しかしそれは間違いではない。シリーズは、トニーとスティーブという対照的な二人を通じて、進んできたのだ。

「ハルクとソーの扱いが雑」という意見もわからないではないが、今回、そこまでは大きくは盛り込めなかったのだろう。今回は水島新司漫画で言えば『大甲子園』、永井豪で言えば『バイオレンスジャック』みたいなもので、最初から各作品を見ている人の方が、断然楽しめる。というか、今まで10年見てきた人へのご褒美とも言える。

ということで、しばらくアベンジャーズ・ロスが続きそうだ。採点不可能。


by mahaera | 2019-05-12 12:04 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『ラ・ヨローナ〜泣く女〜』公開中


ホラー映画は進んでは見ないが、たまに仕事で「見てください」とくる時がある。ということで何の予備知識もなく、この映画を見に行った。アメリカでは大ヒットしている「死霊館」シリーズとのことだが、本作も、初登場1位とアメリカではヒットしている。

スペイン語のタイトルから推測されるように、「ラ・ヨローナ」とは、ラテンアメリカに伝わる民間伝承のお化け。子供を水死させた母親が悪霊となって、子供を水に引き込んで殺すという。現地では親が子供を叱る時、「ラ・ヨローナが来るよ!」と言って脅かすとのこと。

その幽霊話を1970年代のアメリカを舞台にしたホラーが本作だ。主人公はソーシャルワーカーのシングルマザー。彼女のいる相談所で、子供の虐待を疑われたメキシコ系移民の女性がいた。主人公がその家に行くと、監禁されているとしか思えない子供たちが。子供たちは施設に入れられるが、その夜、子供たちは水のほとんど無い川で溺死してしまう。子供たちは、母親によって悪霊から守るため隠されていたのだった。そして悪霊ラ・ヨローナが次に狙ったのは、主人公の子供たちだった。。。

定番の怪奇話の映画化といった感じで、目新しさは特に無い。オーソドックスともいえよう。なので事前に思っていたほど怖くはなかった。幽霊といえども設定による縛りがあるので、いつでも自由に人を襲う訳では無い。水のあるところから出てきて、子供を殺すにも溺死以外の方法は取らない。とルールがあり、人はそれを逆手に取って戦うのだが、必ずどこかでルールが破られてしまい、それがサスペンスになる。

ホラー映画につきものの後味の悪さや人間の不気味さはここにはない。人間のキャラも類型的で、全体にテレビドラマ程度の薄味なのだ。もっと業のようなものを見せて欲しかったが、この適度なエンタメホラー感が、このシリーズの魅力なのだろうな。
★★

by mahaera | 2019-05-11 16:31 | 映画のはなし | Comments(0)

「手塚治虫アシスタントの食卓」ぶんか社 堀田あきお&かよ

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GW中は読書と思ったが、何冊も手をつけたけど読み切ったのはこれだけ(笑)。

タイトルにもあるように、マンガ家・手塚治虫のアシスタントをしていた堀田さんが、思い出に残る食事や料理・食べ物とともに当時のエピソードをつづったマンガ。

今も連載中というが、ここには15篇が収められている。

読んでいると「ブラックジャック」連載中とか、映画「火の鳥」公開(1978)とあるので、時代は自分が高校生ぐらいのときだろうか。リアルタイムで読んでいた“あの頃”に引き込まれる。

一気に読むのがもったいないので、頑張って3日に分けて読んだ(一気読みだと30分ぐらいで終わっちゃうから)。

手塚作品は、今読んでもそのストーリーテリングに感心してしまう。

一般的にマンガはキャラクターが命で、ストーリーがほとんどない連載マンガも普通だが、手塚作品はテーマが必ずあり、そこへ向けてのストーリーがどの作品にもきちんとある。

普通の連載マンガは連続ドラマに似ているが、手塚作品は映画的なのだ。


さて、この「手塚治虫アシスタントの食卓」はそんな巨匠の元のアシスタント部屋の青春劇だ。

主人公ホッタくんの成長物語(になっていくと思う)と他のアシスタントの群像劇に、クセのあるOBアシスタントたち、いつも待機している編集者たちなど、手塚プロのスタッフなどが絡んでいく。

もちろん手塚先生も毎エピソードに出演。

とにかく面白く、次へ次へとページが進んでしまう。

アトムシールやレーズンバター、30年ぶりぐらいに思い出した(笑)。

各エピソードタイトル部分の脱力カットも笑える。いつか朝ドラになるかもしれない(笑)。

ということで、手塚マンガで育った人たちへ、オススメです。


by mahaera | 2019-05-10 09:44 | 読書の部屋 | Comments(0)

子供に教える世界史・番外編/映画で学ぶ世界史/『トロイ』(2004)

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●『トロイ』(2004)ヴォルフガング・ペーターゼン監督

世界史の中で都市としてのトロイアは実在しているが、トロイア戦争というと神話や伝説の中だ。

西欧文化の中では、前述したモーセの出エジプトぐらいポピュラーな話で、しかもほぼ同時代の出来事とされている。とにかく話がドラマチックだ。

さて、トロイア戦争関連は何度か映画になっている。

1956年のハリウッド映画『トロイのヘレン』とかあるが、今となるとやはり2004年のヴォルフガング・ペーターゼン監督による『トロイ』だろう。

のちに「ゲーム・オブ・スローンズ」で売れっ子になったデヴッド・ベニオフの脚本によるもので、監督のペーターゼンは『Uボート』『ネバーエンディング・ストーリー』など大作も得意。

主演は当時人気絶頂とも言えるブラッド・ピットによる3時間近い大作だ。

期待が高まり興行的には成功したが、批評家的には評判が良くなかった

そもそも戦争のきっかけが、三女神が「誰が一番美しいか」を決めるのに、トロイの王子パリスに審判を求めるところから始まる。

ホメロスの「イーリオス」にも神々がばんばん出てきて、ギリシア側とトロイ側、両方を応援する。

神話では人間と神が同等に語られるのだが、映画でそれをやったらファンタジーになる。

そこで映画では、神々の要素をバッサリ切った。

じゃないと『タイタンの戦い』みたいな中途半端な映画になってしまう。

それではリアルな歴史指向かというと、それも難しい。

何しろ戦争の原因が美女の取り合いというところで歴史としてはリアリティがないし、トロイの木馬も出さなきゃならない

なので人間ドラマを中心に、物語を再構成したのは当然の結果で、脚本は間違っていない。

塩野七生はじめ、知識人が「神話と違う」というのはポイントがずれている。

これが歴史上の事件ならあまりの脚色は問題だが、そもそも原作がフィクションなのだ。


映画のストーリーはこうだ。トロイの王子パリス(オーランド・ブルーム)は、スパルタの王妃ヘレン(ダイアン・クルーガー)と恋に落ち、トロイへと連れ去ってしまう。

兄のヘクトル(エリック・バナ)は怒るが、結局はトロイ王で父のプリアモス(ピーター・オトゥール)とともにヘレンを受け入れることに。しかし妻を取られたスパルタ王メラオネスは激怒し、兄のミケーネ王アガメムノンに助けを求める。かねてからトロイを狙っていたアガメムノンは、ギリシア連合軍を率いて海を渡る。英雄アキレウス(ブラッド・ピット)は、アガメムノンが嫌いだが、親友のオデュッセウス(ショーン・ビーン)に頼まれて参戦。しかし戦争で得た巫女プリセイスの処遇をめぐって、アガメムノンと対立して戦線を離脱してしまう。

いろいろあって、アキレウスを欠いたギリシア軍は劣勢になるが、アキレウスの親友のパトロクロスが戦死したことから、アキレウスは参戦し敵の王子ヘクトルを打ち取る

しかしアキレウスの怒りは収まらず、ヘクトルの死体を戦車で引きずり回し辱める。

その夜、アキレウスのテントをトロイア王プリアモスが密かに訪れ、息子の亡骸を返してくれと涙ながらに訴える。アキレウスは自分のしたことを後悔し、遺骸を返す。

最後にオデュッセウスの計略で、大きな木馬を作ってトロイア城への侵入が成功。

ギリシア軍は城内に入り、略奪と虐殺が始まる。アガメムノンはプリアモス王を殺すが、巫女プリセイスまで殺そうとしてアキレウスに殺される。しかしアキレウスも、パリスに殺されてしまう。パリスもまた炎に身を投じ、プリセイスやヘレンは脱出に成功する。


神話と違うのは、一番重要な「アキレウスの死」。

神話ではアキレウスはトロイア落城前に死んでいるが、主役がクライマックス前に死んでは映画にならないので、アキレウスの死はエンデンィグまで持ち越されている。

また、神話ではアキレウスは愛していたパトロクロスを殺されて怒るが、映画ではそれは友情にして、愛を注ぐのは女性のプリセイスだ。

これもそうしないと、多くの観客が置いてきぼりになるから。また中盤の決闘で、メラオネスがヘクトルに殺されてしまうが、これも映画の創作。神が戦いに干渉するシーンもすべて別な理由に置き換えられている。

この映画が作られた頃は、ちょうど『ロード・オブ・ザ・リング』などでCG技術が発達し、背景の軍勢をいくらでも増やせ始めた時代。

ギリシアの軍船が大挙して海を渡る姿は壮観

大人数による合戦シーンも、迫力がある。ドラマとしても、盛り上がるようによくできていると思う。

面白といといえば面白い。

しかし、格調高い名作かと言われると、そうでもない。各俳優陣は頑張ってはいると思うが、演出のせいなのかキャラが書き割り的なのが残念。

映画の中で悪役と言っていいアガメムノン兄弟はゲスすぎて、なぜ王として人望があるのかさっぱりわからない。

トロイアの王子パリスも魅力が伝わらないから、ただのヘタレにしか見えず、見ていてイライラする。なんとなく、薄っぺらいのだ。あと女優陣も、メインの男たちの戦いの動機付け以上のものではない。テレビドラマシリーズならいいと思うのだが、映画としては深みがないのだ。

とはいえ有名な話だから、「あのシーンがない!」と不満が出ないように、うまくまとめたと思う。劇場公開版は163分だが、ブルーレイ化されるときに33分足した長尺版もでた(こちらは未見)。より戦争の残酷度が増しているらしい。
ということで、「イーリアス」を読んだことがないよという人、ギリシア神話のトロイアの話も木馬しか知らないという人は、3時間弱かかるがアウトラインはこの映画で理解できるはず。「天地創造」や「十戒」のような昔の作品ではないので、かったるくもなく、楽しめると思う。中古DVDなら500円以下で買えるし。


by mahaera | 2019-05-09 10:40 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史・番外編/映画で学ぶ世界史/『十戒』『エクソダス:神と王』

「創世記Genesis」に続く、旧約聖書の2番目の書が「出エジプト記Exodus」だ。
前にも書いたが、これが世界史上のできごとであるかは証明されていない。しかしヘブライ人(ユダヤ人)の祖先が、エジプトからカナンに移住したという出来事はあったのかもしれない。
岩波文庫の「出エジプト記」を読むのは面倒なので(ネットにもあがっているが)、一番楽なのは映画やドラマを見て物語のアウトラインを知る事だろう。

「出エジプト記」のストーリーをざっと書いてみよう。
エジプトに移住したヘブライ人たちは、時代が下り、奴隷として苦役にあえいでいた。
神託によりエジプトの王(ファラオ)が生まれたヘブライ人の男子を皆殺しにするが、モーセは母の手により葦舟でナイルに流され、ファラオの娘に拾われる。
成長したモーセはやがて出生の秘密を知り、ミデヤンの地へと逃れる。
そこで妻を娶るが、神の言葉を聞いたモーセはエジプトへ戻って同胞を救うことにする。
ヘブライ人の移住を認めないファラオに対し、神は十の災いをエジプト人にもたらす。
ついにヘブライ人はエジプトを出るが追っ手が迫る。
しかし海が割れ、ヘブライ人は脱出に成功。
一方、ファラオの軍隊は海に飲み込まれる。
モーセは民を率いてシナイ山の麓にたどり着き、そこで十戒を授かる。しかし待ちきれなかった民は偶像の金の子牛を崇め、神の怒りを買う。


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『十戒』(1956年)セシル・B・デミル監督

この「出エジプト記」をほぼ忠実に描いたのが『十戒』だ。
今回、20年ぶりに見直したが、前半はほとんど忘れていた。
上映時間が音楽のみの部分を入れて232分という大長編
長い。本当に長い。モーセにはチャールトン・ヘストン、ラムセス(2世)にはユル・ブリンナー、ネフレテリ(ネフェルタリ)にはアン・バクスターが演じている。

冒頭、セシル・B・デミル監督自身が登場し、観客に映画の趣旨を語るシーンがある。
大真面目に聖書の映画化に取り組んだという。
時代考証などは専門家に頼んだようだが、演出は当時のハリウッド的なので、自然主義的なところはない。
何しろデミルがサイレント時代の監督なので、演出が非常に古臭い。定位置に登場人物が並んでセリフを言っていく、舞台のようだ。ということで、今の目で見ると古色蒼然としているのだが、そこは我慢。

前半はモーセが王の娘に拾われて成長し、手柄を立てるが出生の秘密を知り、追放されて神の啓示を受けて預言者になるまでが描かれている。
「出エジプト記」にはモーセの前半生の詳細は書いてないので創作なのだが、スペクタクルが詰まった後半よりもこちらの方が面白い
人間関係のドラマがちゃんとあるのだ。

ラムセスがモーセを憎むのは、自分にないものを全てモーセが持っているから。
実の父や妹でさえ、ラムセスよりモーセを愛している。
しかしプライドだけは高い。いや、高くしないとやってられないのだろう。何しろ、モーセには欠点がないのだ。

後半は、エジプトに戻ったモーセとラムセスの対立が軸となり、派手なスペクタクルが続く。
「十の災い」ではナイルの水が真っ赤になり、エジプト人の長子が神に殺される。
とうとうラムセスは、ヘブライ人が出ていくことを認めるが、後を追撃。そこで有名な紅海が割れるシーンが登場
ここはこの映画の一番の見どころ。
しかし映画はここで終わりではない。
モーセがシナイ山で十戒を授かるのと、民が偶像を崇めて怒りを買うシーンが、さらにクライマックスとしてある。
後半は預言者になったモーゼが、ただ「偉い人」というだけで人間的に魅力がない。
そのため、どんなスペクタクルがあっても共感できず、再現ドラマを見ているような感じで、今ひとつつまらない。

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『エクソダス:神と王 Exodus:Gods and Kings』(2014)

この『十戒』のリメイクが、リドリー・スコット監督の『エクソダス:神と王』だ。
こちらも150分の大作で、モーセをクリスチャン・ベール。ラムセスをジョエル・エドガートンが演じている。
原題がKings、Godsと複数形で、エジプトとヘブライという二つのグループのそれぞれの王と神の対立とも取れる。
あらすじは『十戒』と同じだが、こちらのモーセは「神に選ばれてしまって迷惑」という設定で、進んで指導者になるのではなく、いやいやなるといった感じ。
神は子供の姿でモーセの前に現れる。
エジプト人の長子を皆殺しにすると神が決めると、モーセもそれは酷すぎると神に文句を言う。

冒頭の合戦シーンは、当時の戦争の様子を再現していてなかなか面白い。
馬に引かせた二輪戦車の機動力がわかる(まだ騎馬はない)。
「十の災い」では、ワニが人を食っていくシーンはやりすぎ感があるが、それがスコット節(笑)。
今どき神の奇跡を出しすぎると観客がしらけるので、科学的にも納得できるよう紅海の水が引くのも「隕石の落下が原因」としている。これはこれで面白かった。

ということで見ている間はなかなか面白かったのだが、今となると、なかなか思い出せない。
まあ、それもスタイル優先のリドリー・スコット節。
アメリカでは評判はあまり良くなかったが、その理由は「古代エジプトなのに出てくるのは白人ばかり」「紅海が割れたのは神の奇跡なのに、隕石のせいにしている」といったもので、映画の出来とは関係のないところだった。


by mahaera | 2019-05-08 09:50 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)