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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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2019インド旅行 その2 ラクナウ


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ウッタルプラデーシュ州の州都ラクノウ
2年前に来た時はまだ工事中だったメトロだが、今回は鉄道駅から空港まであと2駅(約2km)の駅まで開通していた。
メトロ部分は快適で、乗車時間約20分で20ルピー。
しかし空港前まであと2駅ある。なので最後はオートリクシャーに乗らなくてはならない。あと少しなのに。
このメトロ、やがて街の中心部を通る予定なので、現在はその中心部が大工事中だった。
さてこの写真、乗客がメトロの写真を撮っていたので、自分も撮ったら警備の人が来て写真はダメだという。
いや、みんな撮っているでしょというと、モバイルはOKという。
モバイルとカメラの差ってなんだろ。でもインドではそういうところ、増えてきた。カメラは厳しく取り締まる、あるいは有料で、スマホ写真はOKとか。

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ラクナウは乾季なのに今日は朝から雨が降ったり止んだり。
おかげで部屋にいても停電で、WiFiが落ちたり。
ラクナウはイギリス領になる前は、アワド王国の都で、凋落したムガル朝の都デリーよりも繁栄していた時期もあった。
19世紀半ばの有名なインド大反乱(セポイの乱)のときは、立てこもったイギリス守備隊と反乱軍の激戦も行われたところ。
写真はイギリスの駐屯地があったThe Residencyの廃墟。
イギリス軍といっても、将校以外はほとんどがインド人傭兵だった。

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また、ここの王はムスリムでもインドでは珍しいシーア派だったので、大きなイマームバーラ(シーア派の催事を行う場所)がある。ここだけ、ちょっとイラン風。入り口にホメイニ師の写真飾ってあったり。


最後はラクナウの人気ケバブ店Tunday Kebabi
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この手の店によくあるように、有名人が訪れるとオーナーと並んで写真を撮って飾る。
アミール・カーンとかシャールク・カーンとかはわかったけど。

# by mahaera | 2019-02-10 01:20 | 海外でのはなし | Comments(0)

2019インド旅行 その1 デリーのMehrauli Archaeological Park


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インドに来ています。

ムガル皇帝が城を構えたオールド・デリーに都が置かれる以前、
デリー・スルタン朝というデリーを都とした5つのイスラム王朝があった。
それらが都としたのが現在のデリー南部。クトゥブ・ミナールがあるあたり。
このあたりがデリーでもっとも古い建物が残っており、デリー初のモスクもクトゥブ・ミナールにある。

今回初めて行ったのが、クトゥブ・ミナールのすぐ南にあるMehrauli Archaeological Park。
広い公園内に、デリー・スタルーン朝時代の階段井戸やモスク、廟などが点在。
そしてなんと入場無料という、太っ腹。
というのもまだ、整備が終わっていないところがあるからかも。
メトロQtub Minar駅から、クトゥブミナール方面へ徒歩10分。ここからクトゥブミナールへは徒歩5分。

デリーでは、ここしばらく上がっていなかった入場料があがっていた。
世界遺産のクトゥブ・ミナールとフマユーン廟が500ルピーから、600ルピーに。もちろんインド人は1/10ぐらいの値段。ただし並んでいる列も10倍ぐらいだけど。外国人は高いだけあって、優先入場。

気になったのは、この写真にあるように現金払いより、カード払いの方が1割安い。
なぜ?という感じだが、試しにクレジットカードで入場。ふつうに使えた。
ただし、フマユーン廟は閉まるちよっと前に行ったら、面倒臭いのか「キャッシュオンリー」と言われてしまった。まあ、それもインド。
トゥグラカバードのようなマイナーな見どころでも、現金300ルピーからカードだと250ルピーで払えた。この分だと、他の町でもと思ったが、今日いるラクナウの入場は現金み。カード割引はデリーだけなのかなあ。
それとメトロのピンクラインも開通してたのと、メトロの日曜割引運賃を知ったのが、今回は新しい発見かな。

# by mahaera | 2019-02-06 15:01 | 海外でのはなし | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編] インド=ヨーロッパ語族の民族移動の時代(前2000〜前1500年)その5 インド北西部へのアーリア人の侵入/馬と車輪

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(写真)スポーク付きの車輪が現れるまでは、車輪は円盤だった。スポークの考案により、車輪の重量を減らし、歪みや強度にも対応出来るようになった。


インド北西部のパンジャーブ地方に侵入したインド・アーリア人だが、大集団が一気に移住したのではなく、小集団が百年以上かけてゆっくりと移動してきたのかもしれない。
移住の理由は定かではないが、定住していた中央アジアの気候の変化や人口の増加による牧草地不足があったのだろう。
彼らはインダス文明の末裔であるインド先住民たち(アーリア人は彼らを「黒い肌のもの」と呼んだ)を征服した。
当時、彼らは2頭、あるいは4頭立ての二輪戦車金属の武器を使用し、世界的にも圧倒的な軍事力を持っていた。

アーリア人は牛を主とした牧畜民だったが、パンジャーブの地に入り先住の農耕民と交わり、やがて農耕社会に移行していった。前1500〜前1000年ぐらいの間、パンジャーブ地方に彼らが留まっていた時代を前期ヴェーダ時代という。
大きな国は作られず、部族社会のままだったようだ。
やがて前1000年ごろからアーリア人はインド北部のガンジス川方面に第二次移動を始めるが、それは次の機会に。


[馬と車輪]

車輪は文明の発達になくてはならない発明だが、世界ではメソアメリカ文明やアンデス文明のように車輪が発明されなかった(おもちゃとしてはあった)文明もある。
車輪が発明されたのは新石器時代の末期で、すでに農耕は始まっていた。
車輪の利用は、それをひく家畜の利用とほぼ対になっている。
つまり、車輪をひく家畜がいなければ実用化は難しい。
前4000〜前3000年ほどの間にメソポタミアからヨーロッパ南部にまで車輪の技術は伝わったが、荷車を引くのはおもに牛やロバだった。
また、車が威力を発揮するには、平らな道が必要だった。
前2500年ごろのシュメールではロバに戦車を引かせていたが、実際の戦闘で役立ったかは不明だ。
インダス文明でも牛車が使われていた。

馬が家畜化されたのはインド・ヨーロッパ語族の故郷である前4000年ごろのウクライナという。
当時は食肉が目的だったが、そのスピードを生かして荷物を運ばせたりするようになる。
また、馬が家畜化される以前は、戦闘に使えるほどスピードがある家畜はいなかった。
初期の車輪は木製の円盤で、強度上の問題から一本の木の縦の断面から切り出していた。
ということはよほど大きな木でないと大きな車輪は作れなかった。また、車輪を動かすには平らな土地でないと無理だ。
なので中央アジアの平原地帯で、前2000年ごろ、おそらくインド・ヨーロッパ語族により最初にスポークのある車輪が発明されたのも納得がいるだろう。スポークの利用により、強度や耐久性が高まり、また車輪の重量も減らすことができる。
これを馬に引かすことによって機動性がよく、軽くて速い戦車や馬車を作り出すことに成功した。

戦争の歴史では騎馬よりも戦車が先に開発されている(前2500年ごろ)。
というのも騎馬で戦うには鞍や鎧、手綱などの発明が必要だったからだ。
それにこのころの馬はまだ小型で、騎馬に適さなかったとも。
戦車の場合、御者と弓をひくものは別なので2〜3人乗りになるが、騎馬は1人で馬の操作と弓の攻撃もしなければならない。
つまり矢を放っている間、馬から落ちないためには鞍や鎧が必要だった。裸馬に乗るのはたぶん早い段階で達成していたと思うが、そこから先に時間がかかったのだ。

また、戦車の場合、牛車と違い車輪は高速で回る。
そのためには金属の部品が必要で、それには前1200年以降の鉄器の普及もかかわってくる。
しかし初期の頃には、まだ金属器が使われていないか、せいぜい青銅が一部使われていたぐらいなのだろう。
しかしそれでも馬に引かせた戦車は、圧倒的な機動力があり、そこから弓矢を打てば多くの敵を倒せた。
第一次世界大戦で装甲した自動戦車が登場したのと同じくらいのインパクトはあったのだ。
こうして前2000年から前1500年にかけて、世界各地にインド・ヨーロッパ語族が最先端の軍事力で広がっていったのだ。


# by mahaera | 2019-02-05 03:01 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

名盤レビュー『ザ・ビートルズ/50周年記念アニバーサリーエディション』CD5 セッションズ2 7月19日〜9月11日

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CD5は7月19日に録音が始まった「セクシーセディ」(テイク3)から始まる。ジョンがインドを去る前に最後に書いた曲。マハリシを揶揄した曲。この初期テイクだと、ジョンがアコギ、ジョージがエレキ、ポールがキーボードだ。しかし何かが足りなく、8月にリメイクされることになる。

次の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は7月25日に録音が始まった。ここにあるのは(アコースティックパージョン・テイク2)で、参加しているのはアコギと歌のジョージ、オルガンを弾くポールの二人のみ。リハーサルだと思うが、後ろのポールがいろいろなコードを試しているのが面白い。

次が7月29日に「ヘイ・ジュード」(テイク1)がレコーディングされている。ここにあるのが意外な気がするが。ビートルズは「ホワイトアルバム」に先駆けてシングルを出す必要があった。「レボリューション」はもう決まっていたが、その片面になったのがこの曲。この曲が書かれたのは、ジョンがシンシアと別れることになってポールが5歳のジュリアンを慰めるために、というのは有名な話。ポールはシンシアを訪ね、この曲の歌詞を見せたという。このテイク1では、ほぼ曲の骨格は完成版と同じで、後半のシャウトも完成版と同じように長い。続いて同じセッションから「セント・ルイス・ブルース」のジャムが。「ヘイ・ジュード」は最終的にトライデントスタジオで、8月1日にオーバーダブを経て完成する。


その後、アビーロードスタジオに戻り、8月7日に始まったジョージの「ノット・ギルティ」(テイク102)は、アレンジもできていて、ジョンの弾くハープシコードも印象的なのだが、最終的になぜかボツになった。個人的には好きな曲なんだが。

8月9日「マザーズ・ネイチャーズ・サン」(テイク15)は、ポールによる弾き語りバージョン。歌い回しが完成版と少し違う。

8月13日「ヤー・ブルース」(テイク5)。完成版のテイクとは違うが、遠くでジョンのガイドボーカルが聞こえる。この録音の時は、ライブ感を出すためかスタジオではなく、狭い空き部屋に全員が入ってくっつきそうになりながら演奏した。音の分離をわざと悪くして迫力を出したのかな。でもこの録音好き。

8月14日は「ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン」(テイク1)ジョンがボーカルとピアノ、ジョージがアコギの2人で録音だが、これはとうとう未発表に終わった。


8月15日「ロッキー・ラクーン」(テイク8)完成前のテイクだが、ジョンのハーモニカ、ジョージのベースが入っている。ライブだと思うといい演奏だ。一度終わって、またポールの語りから始まる構成になっている。あとでジョージ・マーティンが弾く酒場のピアノ風がオーバーダブされることに。

8月22日「バック・イン・ザ・USSR」(テイク5)レコーディング中盤になり、ポールの細かい指示にブチ切れたリンゴがスタジオから消えてしまう。この曲は、そこで残りの3人しか録音に加わっていない。ドラムはポールがメインだが、ジョージとジョンもしている。またベースも3人が弾いている。このテイクはキーが低くテンポが遅い。ドラムを叩きやすくするためにテープスピードを落としたのかは不明。

8月28日「ディア・プルーデンス」(テイク名なし)。リンゴはまだ帰ってこないので。ポールがドラムを叩いている。ベースが入っていないのでまだあの雰囲気はでていないが、ポールのドラムのフィルは、リンゴっぽい。きっと左利きで右利きドラムを叩いているという共通点があるからだろうか。

このあと、みなさんが知っているエピソードがあって、リンゴがスタジオに復帰する。復帰後は、険悪な雰囲気も消え録音はスムーズに進んだようだ。


9月5日「レット・イット・ビー」(テイク不明)コード進行を適当に決めたジャムセッションだが、ポールが歌う歌詞は「レット・イット・ビー」。クラプトンのギターが小さく聞こえる?
「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(3rd Verテイク27)。クラプトンも参加した日のセッション。ポールはオルガン。クラプトンはテイク17から45まで参加したというので、もうちょっと聴きたいなあ。

9月9日「ベイビー・アイ・ドント・ケア」(スタジオジャム)
「ヘルター・スケルター」(2nd Ver. テイク17)7週間ぶりにビートルズがこの曲に戻ってきたときは、完成版に近いラウドな曲に変わっていた。テンポは早めで、ポールの声にはプレスリー風のロングディレイがかかっている。プレスリーの「ベイビー・アイ・ドント・ケア」のジャムに続き始まるこの「ヘルター・スケルター」はなかなか楽しめる。ギターはポールとジョージ、ジョンがベース。

9月11日「グラス・オニオン」(テイク10)。リズムトラックの録音。9月16日にポールとクリス・トーマスがリコーダーをオーバーダブする。


# by mahaera | 2019-02-01 11:56 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

最新映画レビュー『 ヴィクトリア女王 最期の秘密 』 晩年の女王と彼女に仕えたインド人の知られざる物語


2017年/イギリス、アメリカ
監督:スティーヴン・フリアーズ(『クイーン』『あなたを抱きしめる日まで』)
出演:ジュディ・デンチ(『マリー・ゴールドホテルで会いましょう』『007』シリーズ)、アリ・ファザル(『きっと、うまくいく』)、エディ・イザード、マイケル・ガンボン(『ハリー・ポッター』シリーズ)
配給:ビターズエンド、パルコ
公開:125日よりBunkamura ル・シネマにて公開中

●ストーリー
1887年、ヴィクリトア女王即位50周年を迎え、記念金貨の贈呈役としてインドからイスラム教徒の若者アブドゥルがやってきた。アドブゥルをひと目で気に入ったヴィクトリアは、彼を自分の身近に置くように命じる。長生きして愛する人を失ってきたヴィクトリアだが、アブドゥルを“ムンシ(先生)として”心を許すようになり、身分を超えた友情が芽生え始める。しかしアブドゥルを寵愛するヴィクトリアに、周囲は反発する。

●レヴュー
どこまでが事実かはわからないが、近年になって発見されたアブドゥルの日記や、破棄を免れたヴィクトリアのウルドゥー語の練習帳などをもとにシャラバニ・バスが小説を書き、それを映画化したしたのが本作だ。
ヴィクトリアは18歳にして即位。以来、在位期間が63年と7ヶ月に及んだイギリスの全盛期を象徴する女王だ。
その時代、イギリスは選挙制度が進み、近代国家として確立したが、植民地支配を推し進めたという面もある。
ただしドイツなどの専制国家とは異なり、その時代のイギリスは立憲君主制が進み政策は議会が決め、イギリスは女王といえど議会の決定を追認するしかなかった。
映画を見ていると、周囲は建前的には女王を敬うが、政策などには口を出させないことがよくわかる。
当時のヨーロッパの王室とは親戚関係にあり、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア最後の皇帝ニコライ2世の妻アリックスは孫だ。

ヴィクトリアは夫アルバートを愛していたが42歳の時に死別。
その後、イギリス帝国主義を推し進めた政治家ディズレーリを偏愛したことは知られていて、彼の死のときに葬式に出たいと言ったことは有名(当時は身分的にかなわなかった)。
孤独のまま長生きしていたヴィクトリアが、晩年に出会ったのがインド人のアブドゥルだった。
本作でも描かれているように、70歳を過ぎたおばあさんが若いイケメン男子を寵愛するのは、哀れでもあり可愛らしくもある。たとえば自分の息子、いや孫に近いぐらいのアイドルに熱狂する日本のおばさんたちと変わらない。
しかし、長く生きていれば、それぐらいの楽しみがあっても何が悪いとも言える。
老人は老人らしく、何の楽しみもなく静かにしていればいいと、周囲は思うかもしれない。
でも生きがいもなく、ただ生きるのは苦痛なのだ。

それまで抜け殻のようになっていたヴィクトリアだが、インドからやってきたアブドゥルを見て一目で気に入り、自分の手元に置くように命じる。
アブドゥルはインド皇帝であるヴィクトリアの側近になるという野心もあったにちがいない(映画ではアブドゥルが本当は何を考えているのかをワザとはっきりとは描かない(善良だが、都合の悪いことは言わないというしたたかな面もある)。
抜け殻の老人から、恋する乙女に変身するヴィクトリアを演じるジュディ・デンチは本当に素晴らしく、その演技を見るだけでもこの映画をみる価値はある。
実際、本作を批判的な人でもデンチの演技だけは絶賛している。

実際のヴィクトリアは、短期で直情的、そして教養がなかったと言われている。
映画に描かれているように、息子のアルバート皇太子とは仲が悪く(若い頃から不品行で親を悩ませ、それが原因で夫が亡くなったとヴィクトリアは思っている)、アルバートも母親が長生きなのでいつまでも自分が国王になれないと思っている。
ヴィクトリアは夫の死後、ひとり噂されたお付きの者がいたが、その彼も亡くなっていた。
長生きするということは、ひたすら愛するものを失う日々が続く。
いいことばかりではないのだ。
そんなヴィクリトアにとって物怖じしないアドブゥルは大きな光だ。
同じイギリス人は本音と建前があり距離感を作るが、利害関係がなく屈託のないインド人には心許せるのだ。

恋する乙女になったヴィクトリアだが、途中アブドゥルに妻がいたことを知って怒る。
アブトゥルからしたら聞かれないことは言わなかっただけだが、まあズルい(笑)。
インドに帰れとなるが、思い直して「妻も呼びなさい」と命じる。
やがてヴィクトリアはアブドゥルにウルドゥー語を習い始める(当時のインドの宮廷語)。
大英帝国のトップが、支配下の国の言葉を学ぶというのは当時としては大問題だ。
逆にみんなが英語を覚えろという時代だから。
しかしヴィクトリアはそんなことにはおかまいなしだ。
ただ2人になれる時間が欲しかったのだろう。
ヴィクトリアのインド熱は高まり、インドの寸劇を王宮で演じたり、インドの王族の広間のダルバールホールを宮殿内に作らせたりもする(事実)。

当然ながら、周囲はアブドゥルを嫌い、ヴィクトリアを諌めるものも現れる。
「どうしゃったのだろう?」と。それが表面化するのは、ヴィクトリアがアブドゥルを叙勲しようとした時だ。また、アブドゥルが女王に言っていた家柄とは違うこと、「インド大反乱」についてアブドゥルがイスラム教徒よりの見解を伝えていたことがわかってくる。
そしてヴィクトリアに死期が迫ってくる。

本作は実際にあった話をもとにしているが、あくまでフィクションだ。
アブドゥルは実在の人物で、晩年のヴィクリアに仕えたが、スキャンダルを恐れた皇太子のエドワードが書類や手紙を全て焼却してしまったのでわからない。
残っているのは、アブドゥルの日記と、ヴィクトリアのウルドゥー語の練習帳だ(何が書いてあるかわからなかったので焼却を免れた)。
しかしどちらかといえば、ヴィクトリアの歳の方が近い自分としては、老人の生きがい、愛する人が皆死んでしまっての長生きなどを考えてしまった。
はたから見たら、「うちのばあちゃん、何やっているの」だが、当人にしてみたらそれぐらいの自由は欲しいのだと。

ヴィクトリアを演じるジュディ・デンチは、ヴィクトリアを映画で演じるのはこれが2回目になる。魅力的な若者アブドゥル役に抜擢されたのは、『きっと、うまくいく』に出演していたアリ・ファザル。途中で自殺してしまうイケメン役だ。監督は『クイーン』などのスティーヴン・フリアーズ。
映画としての出来はふつうだが、イギリス映画らしい丁寧さは落ち着く。
フリアーズ監督の手堅い演出は映画的なスケール感はないが、上質のテレビドラマを見たような感じで、実は僕は好きだ。
またデンチの演技は必見なので☆をプラス。
★★★☆
旅行人のwebサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました

# by mahaera | 2019-01-31 13:21 | 映画のはなし | Comments(0)

名盤レビュー『ザ・ビートルズ/50周年記念アニバーサリーエディション CD4 セッションズ1

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CD4からCD6までの3枚は、ホワイトアルバム・セッションのアウトテイクが、ほぼ録音順に並んでいる
といってもその数は膨大なので、完奏しているもの、同じようなものがダブらないものが選別され、なおかつミックスが施されている。
「ブラックバード」何十テイクあっても飽きちゃうし。

前回、書きそびれたが、イーシャーデモが作られる前、インドから帰ってきたジョンは、妻シンシアがギリシャ旅行に行っている間の5月19日に自宅にヨーコを呼ぶ。
明け方にかけて、ふたりはのちに『トゥー・バージンズ』というタイトルで発売された前衛音楽のパーツを録音。
この夜、ふたりは結ばれ(ジョン談)、同棲生活に入る。

CD4の最初は1968年5月30日に始まった『レボリューション1』の録音から。前回紹介したイーシャーデモの数日後だが、すでにヨーコがスタジオに登場している(ジョンと作ったテープループを回している)。
これはアルバムバージョンに使われることになった[テイク18]で、6月4日までにリズムトラックとボーカルが完成。
管楽器がオーバーダブされる前のもので10分半あるが、後半はジョンの即興の叫びやらで、一部が『レボリューション9』に使われることになった。すでにジョンがヨーコ化している。

続いてビートルズが手をつけたのはリンゴの『ドント・パス・ミー・バイ(テイク4)』だが、参加しているのはリンゴとポールのみ。レスリーをかけたピアノを弾いているのがリンゴ、ドラムはポール。

『ブラックバード』(テイク28)(6月11日)はポール一人で録音。まだブレイクして続く後半部分がない。

『エブリバディ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ア・モンキー』のリハーサル(6月26日)では、まだリズムが平坦な8ビートで、完成版のように弾けていない。

このあとビートルズはリンゴが歌う『グッドナイト』にとりかかる。
このCDには6分半にわたって、ジョンのギターが爪弾くバッキングのリハーサルやジョージ・マーティンのピアノバックに、リンゴが語り入りで始める「テイク10」や「テイク22」が入る。
ジョンの3フィンガーギター?だけをバックに、4声コーラスで歌うバージョンもなかなかいい。メンバー楽しそう。
結局、マーティンがオーケストラスコアを書くことになるのだが、メンバーはふつうの編成ではピンとこなかったのだろう。

『オ・ブラ・ディ・オ・ブラ・ダ』(テイク3)は、7月3~5日の初期テイクで主役はまだアコギ。
これはこれで完成の域だが、この後、ジョンがピアノに移って曲の雰囲気が変わっていくことになる。

この後、7月9日からビートルズは、シングル盤の『レボリューション』に取り掛かる。ジョンは最初からシングルにしたかったが、メンバーから「テンポが遅すぎる」と言われてにリメイクすることに。
「リハーサル」はテンポは早くなったが、ギターの音はまだ歪んでいない。7月10日に録音された歌なしの「テイク14」はもう完成版に近く、ギターは歪んでいる。
翌日、11日にピアノのニッキー・ホプキンスがオーバーダブ。発売時にはテープスピードをあげたので、キーがAからBに変わっている。シングル盤は、「ヘイ・ジュード」のB面として8月28日に発売された。ビートルズの次のシングルは「ゲット・バック」だ。

『クライ・ベイビー・クライ』のリハーサルテイクは7月15日。完成版にはないジョンのオルガンのイントロがある。翌日、ジョンは楽器をアコギに変えて録音を再開。

CD4の最後は、『ヘルター・スケルター』の(ファーストバージョン・テイク2)7月18日。ここでは12分54秒にわたる演奏が聴ける。楽器はドラム、ベース、ギター2本。1拍目と3拍目にスネアが来るリズムは単調で、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のような催眠効果をもたらす。後ろで鳴っているギターの即興演奏がEメジャーでなくEマイナーなのも聞き慣れているのと違うし、完成版の出だしの歌の部分は5分半にやっと登場し、Helter Skelterと叫ぶサビは6分半になってようやく登場する。
ポールのボーカルは、プレスリー風のショートディレイがかけられている。
この曲はしばらく放っておかれ、9月に入ってリメイクに取り掛かることになるが、その時には大轟音のハードロックに変身していた。

ここまでの録音の間、7月1日からジョンとヨーコはロンドンで二人のアート展を始めている。他のメンバーはホワイトアルバムの録音の傍、それぞれがプロデュースするアップルのタレントをプロデュースしていた。


# by mahaera | 2019-01-30 13:08 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)

名盤レビュー。ジョニ・ミッチェル4 『コート・アンド・スパーク』『マイルズ・オブ・アイルズ』

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●『コート・アンド・スパーク』(Court and Spark)(1974)
アサイラム移籍第2弾。『ブルー』と並ぶジョニの代表作。
アメリカではチャート2位、カナダでは1位。
1973年はこのアルバムの制作にほとんど使い、1974年1月発売。
今までのアコースティック弾き語りシンガーから一歩前進し、LAのジャズミュージシャンを多く起用したウエストコーストサウンド。ウィルトン・フェルダー、ラリー・カールトン、ジョー・サンプルといったクルセイダーズ人脈のほか、ロビー・ロバートソンやトム・スコット、ホセ・フェリシアーノ、ジョン・ゲランまで参加。
シングルは「ヘルプ・ミー」(7位)と「パリの自由人」(22位)で、ともにジョニの代表曲になった。「パリの自由人」は、アサイラムレコードの創設者のデビッド・ゲフィンのこと。この曲のエレクトリック・ギターはラリー・カールトンとホセ・フェリシアーノ、バックボーカルにはデビッド・クロスビーとグラハム・ナッシュが参加と豪華。印象的なホーンはトム・スコット。
たぶんジョニの全アルバムの中でも、もっとも明るいアルバムかも。というのは、当時新しい恋人ジョン・ゲラン(本作のドラマー)とラブラブだったようだ。
インタビューでもCourt and Spark(付き合ってスパークする)とは彼のことと言っている。
明るい陽の当たるジョニが聴ける。
このころはちゃんとヒットアルバムを作ろとしていたと思う。聴きやすくまた飽きのこないアルバムだ。


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●『マイルズ・オブ・アイルズ』(Miles of Aisles)(1974)
おもに1974年8月にLAのユニバーサル・アンフィシアターで録音されたライブアルバム(2曲を除く)。
ジョニの今までを振り返るような代表曲18曲を収めた2枚組で、アメリカではチャートの2位というヒット。
「ビッグ・イエロー・タクシー」がシングルカットされた。
バックバンドはLAエキスプレス。トム・スコット(木管)、マックス・ベネット(ベース)、ジョン・ゲラン(ドラム)、ロベン・フォード(ギター)、ラリー・ナッシュ(ピアノ)。
前作『コート・アンド・スパーク』からジャズ・フュージョン期に入ったジョニだが、この2枚は明るいフュージョン要素が強い演奏。
まずはLAエクスプレスをバックに「恋するラジオ」「ビッグ・イエロー・タクシー」「ウッドストック」とSideAはヒットが続く。アレンジは当時のニューミュージックのよう。
SideBはジョニの弾き語りに時折サポートが入るアコースティックサイド。やはり「ケイス・オブ・ユー」「ブルー」が聴きもの。
Side Cも弾き語りサイドで「サークルゲーム」「オール・アイ・ウォント」と続き「青春の光と影」の後半で静かにバンドが入ってくる。
メンバー紹介が入りSide Dは再びLAエキスプレスとの共演サイド。ラスト2曲は新曲で締めて終わる。
非常に聴きやすいが、ここで終わらないのがジョニのすごさだ。次のアルバムからまた、ジョニはフュージョンから、よりジャズの方へと接近していく。


# by mahaera | 2019-01-29 18:44 | 音楽CD、ライブ、映画紹介 | Comments(0)