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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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子供に教える世界史[古代編]前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その1 都市化と疫病の蔓延

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(写真)天然痘はもともとはラクダの病気だったという説がある

前回までは、インド=ヨーロッパ語族の移動後の前1600年ぐらいから前1200年ぐらいまでのオリエントの歴史を、エジプト新王国とアナトリアのヒッタイトの2大王国の対立を軸に述べてきた。
その2大国の間、チグリス・ユーフラテス川上流にはミタンニアッシリア、中下流域にはカッシートの王朝があったが、これはまあ名前だけ知っていればいいかなと思う(アッシリアが大国になるのはもっと後)。

ここから先は、世界史の中では小さな事件だったかもしれないが、のちの世界の文化や宗教に大きな影響を及ぼした「ユダヤ人の出エジプト」と「トロイア戦争」についての話、そして「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる破壊を伴った大きな民族移動の章になる。
ただし、どれもエジプトやヒッタイトの記録にない出来事なので、歴史的には証明されていないことも多いが、教科書にはバッチリ出ている。
それと前2000年から前1200年までに人類に起きたことで、国家や政治に関係がなかったので書き漏らしたことも、忘れずにこの章で書いておこう。
農業生産や都市化、牧畜、そして疫病だ。


都市化と疫病の蔓延
紀元前2000年から前1000年にかけて、世界人口は2500万人から5000万人へ1000年かけてゆっくりと倍に増えていった。
前2000年頃は人口6万人という都市はエジプトのメンフィス、メソポタミアのウルぐらいしかなかった。
前1500年〜前1200年ごろにはオリエントではエジプト新王国の都テーベ(ルクソール)とメソポタミアのバビロンが8万人、3万人以上の人口を持つ都市は、メンフィス、ミケーネ、クノッソス、ハットゥシャ、ニネヴェ、スーサなどがあった。
ただし当時の世界最大の都市は10万人以上が住んでいた殷の商(殷墟)という。
ともかく農作物や家畜の品種改良も進み、余った人口は都市に流れ込んでいった。

家畜と人間の密な接触は、それまで人間がかからなかった新しい病気を家畜から移される機会を急速に増やした。
特定の動物にかかる病気のうち、長い時間をかけて人間にもかかるように進化したものもある。
家畜起源の代表的な感染症には、牛からのはしか、結核、天然痘、豚やアヒルからのインフルエンザがある

天然痘はラクダから広まったという説もある。
ラクダの家畜化は前3000〜2000年で、最初は乳や肉を取るためだった。
前1500年ごろから“砂漠の船”として交易に使われるようになると多くの地域に広まるが、病原菌も広まった。
前13世紀にヒッタイトの人口が半減したのも、エジプト人捕虜から移ったラクダ起源の天然痘が広まったためという説もある。

移動が多い狩猟民の生活から定住農耕民、都市生活と人間の生活スタイルが変わると、病原菌は簡単に次の宿主に簡単に感染擦ることができる。
不衛生な都市では、感染者の糞尿から次の感染先へと病原菌は移りやすい。
人類が狩猟採集民である間は、狭い集団内でしか感染が広まらなかった伝染病も、この時代から交易ルートに乗って大流行を及ぼすようになる。
そして当時の伝染病は、一度流行するとこれといった治療法もなかったので、多くの命を奪うものだった。
伝染病は交易や戦争でも広がった。古代の文書には疫病や飢饉についての記述が多い。
品種改良していった穀物は、時に一斉に病害を受けやすい。
その中でもサバイブしてきた種が今も残っているのだ。(続く)


# by mahaera | 2019-04-18 11:19 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

最新映画レビュー『グリーンブック』実話を基にしたウェルメイドな人種を超えた友情物語


本年度アカデミー作品賞ほか助演男優賞(マハラーシャ・アリ)、脚本賞など3部門受賞。定評の高い作品で、日本でも高年齢層を中心に『キャプテン・マーベル』を上回るスマッシュヒット。
公開から2か月余り立っているが、ようやく観た。実話を基にした映画だ。

1962年のニューヨーク。ナイトクラブ“コパカバーナ”で用心棒をしているトニー・ヴァレロンガは、新たな仕事ととして、アフリカ系アメリカ人のドン・シャーリーのディープサウスを回るツアーの運転手として働くことになる。
トニーが渡されたのは、南部で黒人が泊まるホテルやレストランなどを記した「グリーンブック」と呼ばれるガイドブックだった。
旅が始まると、対照的なトニーとドンはすぐに衝突する。
大家族で育ったイタリア系のトニーは粗野で、マフィアともつながりがある男。
一方、ドンはクラシックを演奏し、洗練された言葉遣いや振る舞いをした。
しかしトニーは舞台でのドンを見て、その才能に感銘を受ける。一方で、舞台外でドンが受ける差別的な振る舞いにトニーは動揺する。

映画を見るまで知らなかったのだが、2人とも実在の人物で、ドン・シャーリーは当時のアメリカでは人気のクラシック・ジャズ・ポピュラー、ピアニストだったようだ。
今の日本の“本物の”ジャズ史観では、マイルスやコルトレーンといった黒人の小難しいジャズの巨人ばかりが取り上げられるが、当時はセールス的にもイージーリスニング的な白人ジャズが売れていた(名盤も多い)。
ドン・シャーリーは黒人だが、演奏には“クロさ”はほとんどなく、クラシック的な要素が強かった。
もともとクラシックピアニストを目指していたが、クラシック界には黒人の需要がなく、ポピュラー音楽にシフトしていったようだ。
ジャズ曲も演奏しているが、ジャズらしいビートはなく、クラシックと言うよりイージーリスニング風に演奏している。
一方、トニー・ヴァレロンガは、70年代以降は「トニー・リップ」として、数々の映画やドラマにちょい役として出ている。

粗野な白人と洗練された黒人という組み合わせが旅するのは、公民権運動に揺れるアメリカ南部だ。
物語は1962年のクリスマスイブまでの8週間の旅。
まだワシントン大行進も起きていないし、ケネディも暗殺されていない。ちょうどキューバ危機の後ぐらいか。
車のラジオから流れてくるチャック・ベリーやアレサ・フランクリンをドンが知らないことに驚くトニー。当時の白人は黒人はこうした音楽を聴く者として捉えていたことだけでなく、ドンが一般的な黒人から浮いていたことを示すシーンだ。ポピュラー音楽的にはモダンジャズ全盛期。また初期のロックンロールやR&Bの巨人たちも活躍していた頃だ。

最初は黒人に偏見を持つ男として描かれてたトニーだが、彼自身もイタリア系ということでアングロサクソンの中では見下されている。
旅を通じてドンがなぜ孤独そうなのか、何の問題を抱えているのかを知っていくことになる。
それは単に黒人というだけではない。その中でもドンはさらにマイノリティなのだ。

多分、誰が見ても感動できるクオリティの高い物語作りだが、『ROMA/ローマ』のようや野心やキレはない。
監督がバカ映画(『メリーに首ったけ』『ジム・キャリーはMr.ダマー』)ばかり撮ってきたファレリー兄弟のピーター・ファレリーというのが意外だが、しっかりした作品だ。

あと、本作がスパイク・リーなどに批判を受けているのもわからなくはない。
主人公が「黒人を救う善き白人」として誇張されているきらいはなくはない。共に欠点がある人間だが、世の受け止め方は違うからだ。

ともあれ、別人かと見えるほど体重を増量したヴィゴ・モーテンセン、複雑な表情を見せるマハラーシャ・アリの名演もあって見ごたえのある作品になっていることはまちがいない。
優等生だけど。★★★☆


# by mahaera | 2019-04-17 22:06 | 映画のはなし | Comments(0)

まえ散歩 at 銀座 メゾンエルメス フォーラム

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「うつろひ、たゆたひといとなみ」 湊 茉莉展

銀座や日比谷のあたりはプラプラしていても、新宿や渋谷のように人も多くはなく、またゴチャゴチャしてなくて街の景観も上品。
昔は通学圏内でもあったので、時々途中下車して歩いていたこともあり、「ああ、ここは昔のままだ」とか「変わったなー」と比べることもできる。

さて、昔ソニービルがあった場所は、今はエルメスのビルになっている
小さなガラス窓が並ぶ印象的な現代建築で、4階までがエルメスの店舗
こちらは僕には用がなく、行くのは8階の無料ギャラリー「フォーラム」だ。
壁2面がガラス窓というフロアは、その時の天気によって採光の具合が異なり、展示物の印象も変わる。


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今開催しているのは
「うつろひ、たゆたひといとなみ」 湊 茉莉展。
この人の事は全く知らなかったが、1981年生まれというから、僕よりも20も下。
ガラスブロックに描かれた色は、街を歩いていても目を引くが、中に入るとステンドグラスのように、日の強さによって色合いが変わる。
中に作品もあるが、見ものはやはり外観のペインティングだろう。
展示は6月までだが、ファサードペインティングは5月6日までだというので、銀座方面に出かける予定の方は見に行ってみては。
ギャラリーは、エルメスの店舗に入って奥のエレベーターを使うって登るので、最初はちょっと入りづらいかもしれないけど(笑)

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# by mahaera | 2019-04-16 14:35 | 日常のはなし | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介11(古代オリエント)その8 「〈2〉古代ギリシアとアジアの文明」「(3)古代インドの文明と社会」

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「図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明 2003/2/1
.M. Roberts (原著), 月森 左知 (翻訳)

古代インド(インダス文明から)、古代中国、古代ギリシア、ヘレニズムに至るまでの歴史本。豊富な写真と図版が売りのシリーズで、文章量はほどほどなので、初心者には読みやすいか。ただし、インドや中国の記述が少なくて物足りないと感じる人もいるかも。それでも教科書の副読本にはいいだろう。古本屋なら300円ぐらいでよく出回っている。★★★


世界の歴史(3)古代インドの文明と社会1997/2 中央公論社
山崎 元一 (著)

紀元前2500年ぐらいからインダス文明、古代王朝と、イスラム教が侵入して王朝を立てるまでの、3000年ほどのインドの歴史をまとめた通史。390ページとボリュームもあるので、ざっくり知りたい人には読み通すのが大変だろうが、このくらいあると読む方としてはうれしい。インダス文明が滅亡してから、釈迦などが登場するまでの1000年は考古学的な資料が乏しく、後代の文献からの推測で述べるしかないのは仕方がないのだろうなあ。★★★


# by mahaera | 2019-04-15 10:16 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国とヒッタイト その7  ヒッタイトとエジプトの同盟

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(写真)ラムセス2世が建設した、アブシンベルにある大神殿(右)と小神殿(奥)


前1272年ごろ、ヒッタイトではムワタリ2世が亡くなり、庶子のムルシリ3世が跡を継ぐが、同盟国のミタンニからの援軍要請に応えず、ミタンニをアッシリアに奪われるなどの失政が相次ぎ、前1266年ごろ叔父のハットゥシリ3世が王位を奪う。
ハットゥシリ3世の当面の問題は、ミタンニの領土を奪って急速に拡大した北メソポタミアのアッシリアだった。
長年、ヒッタイトはシリアを舞台にしてエジプトと争ってきたが、これにより方針を転換し、エジプトと同盟を結ぶことにした。
前1259年、ヒッタイトのハットゥシリ3世と、エジプトのラムセス2世の間にシリアでの相互不可侵、共同防衛を取り決める文書が作成された。
「世界史上初の平和条約」と言われているこの文書は、粘土板がヒッタイトのハットゥシャ遺跡で発見され、エジプトでは神殿の浮き彫りに記されている。
この時代のものとしては、別な国で同じものが発見されて、内容が正しいと実証された貴重な遺物だ。


ラムセス2世の統治
前1240年ごろ、ヒッタイトではトゥドハリヤ4世が即位するが、その時代に次第にヒッタイトは弱体化していった。
ミタンニとの連合軍もアッシリアに敗れ、ついにミタンニ王国は滅亡した。
ヒッタイトの王がころころ変わるのに対し、エジプトではラムセス2世が90歳で没するまで、60年以上に渡る安定した統治を行っていた。
まさに大王と言われる所以だ。
一説には娘と息子を合わせると200人近かったという。
治世21年目には、前述した平和条約をヒッタイトと結んだ。
また、ラムセス2世はナイル上流のヌビアにも遠征を行った。
ラムセス2世の戦勝記念碑は国内各地に数多く建てられた
単に統治が長かったせいもあるが、ラムセス2世は自分を褒め称える碑文や浮き彫りを残すのが好きだった。
また、過去の王が残した浮き彫りにも手を加え、自分の業績のようにもした。

そんなラムセス2世の建築物で最も有名なのは、アスワンにあるアブシンベル神殿だろう。
神殿入り口にあるのは、ラムセス2世の4体の坐像
北の壁には、カデシュの戦いが描かれている。
ラムセス2世の統治時代のエジプトは、オリエント世界の最強国に相応しいものだった。
しかし、前1212年ごろにラムセス2世が亡くなった後の前1200年ごろ、ラムセスが想像もしなかった大変動(前1200年のカタストロフ)がオリエントに起きる。
ヒッタイトとミケーネの滅亡、そして「海の民」の侵入だ。それは次の章で述べることになる。


# by mahaera | 2019-04-14 09:09 | Comments(0)

マハエラ的名画館『未知との遭遇 ファイナル・カット版』 今となっては楽観的な宇宙人感


午前十時の映画祭ファイナルで上映中
1978年3月、高校生だった僕は期待に胸をときめかせながら日比谷の有楽座へ向かった。
そこで観た映画は、今までの映画では体験したことがない、圧倒的な映像だった。
ネットどころか家庭用ビデオもない時代、僕がこの映画を追体験できるのはサウンドトラック版しかなく、しばらく家でそれを毎日聴いて、頭の中で追体験をしていた。

スティーブン・スピルバーグの作品の中で一番好きという人も多いこの作品、アメリカでは前年の1977年11月公開で大ヒットしていたが、ネットもない時代だし、当時から公開前の情報制限をしていたスピルバーグなので、どんな映画かさっぱりわからずにいた。
UFOが飛来して宇宙人と出遭う、それだけで話になるの? 
製作当時スピルバーグは30歳
75年の『JAWSジョーズ』で世界的な大ヒットを記録した時はまだ29歳だった。
その彼の新作で、しかもSF映画なので期待が膨れ上がる。
派手にお金をかけたパニック映画がヒットはしていたが、演出や俳優は古臭い中、スピルバーグ映画は全てが新鮮だった。
実はアメリカでは、この『未知との遭遇』より、『スター・ウォーズ』の公開の方が先だった(日本では逆になる)。
なので、日本では新時代の映像体験は『未知との遭遇』が先で、よりインパクトが強かったとも言える。


『未知との遭遇』を見たことがない人はいないとは思うが、ざっとストーリーを。
メキシコ、ゴビ砂漠、インドのダラムサラ、地球のあちこちでUFOによる不思議な事件が起きていた。
そんな中、電気技師のロイ(リチャード・ドレイファス)は停電事故を調べるために出かけた先でUFOに遭遇する。
以降、彼の頭の中はあるイメージが浮かび続ける。
一方、政府はフランス人の科学者ラコーム(フランソワ・トリュフォー)を中心に、宇宙人と接触する計画を進めていた。
その場所が、ワイオミング州にあるデビルズタワーだ。
ロイも頭の中に浮かんだイメージがそこであることを知りやってくる。
やがて、巨大なマザーシップが現れ、中から異星人が姿をあらわす。。。


ややこしいが本作には3つのバージョンがある。
まずは135分のオリジナル版、1980年の132分の特別編、138分のファイナルカット(今回のディレクターズカット版)だ。
見終わった後の印象の大きな違いはないのだが、特別編では予算の関係で当初見送られたゴビ砂漠のシーンや宇宙船の内部のシーンが追加され、その分、ロイの家族ドラマ部分が細かくカットされて短くなっている。
今回上映のディレクターズカット版は、宇宙船内部のシーンがなくなり、ドラマ部分が復活。
なので一部の方には、ロイが泥でデビルズタワーを作るシーンなどが増えたように見えるはず。


今、親になった目線で見ると、主人公のロイはひどい男だ
結果的に妻や子供達を捨てて宇宙船に乗り込むのだから。
しかし30歳のスピルバーグ、そして高校生だった僕には、全く違和感がなかった。
しかしのちに家庭を持ったスピルバーグは、本作のロイに対して批判的になっている。
「あのころ、僕はひどい男を主人公にしたよ」ってね。
ロイは地球を出ることになんの未練もなく、宇宙船に乗り込む前に家族を思い出したりもしない。

スピルバーグはユダヤ系だが、主人公ロイもおそらくユダヤ系で、演じるリチャード・ドレイファスももちろんユダヤ系。
ロイの家族が家で見ている映画が『十戒』だから、この『未知との遭遇』は旧約聖書の「出エジプト記」になぞらえているのは明白。
つまり、ロイは約束の地へと向かうのだ。
そう思えば、この映画がSFでありながら、クライマックスが宗教的な至福感のようでもあるのも納得できる。
この時代のアメリカは、様々なオカルトを含む神秘主義思想が流行っていた。
キリストは宇宙人だったとか、UFOは物理的な物体ではなくエネルギーだとか、ピラミッドパワーや滝のエネギーとか、ユリ・ゲラーとか、横尾忠則も全盛期。
映画のラストは、物語としては破綻している。
選ばれたものが宇宙に行って終わり。

だからどうしただが、それでも皆納得していたのは、カタルシスが得られるからだろう。

ひどいことが世界各地で起きていたにせよ、ある意味、人間は1977年の頃は楽観的だったと思う。
宇宙人は無垢な子供で、人間を導く存在として描いていた。
こんな映画は、おそらく二度とは作られないだろうなあ。
あ、若い人へ行っておくけど、CGはまだ使われていない時代の映画です(笑)。

是非、スクリーンで。

★★★★☆


# by mahaera | 2019-04-13 09:34 | 映画のはなし | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国とヒッタイト/その6 ラムセス2世とカデシュの戦い

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(写真)ハットゥシャシュ遺跡近くにあるヤズルヤカ神殿跡のレリーフ。ヒッタイトの神々が浮き彫りされている


ヒッタイト王国/ムルシリ2世の治世
前1320年ごろ、ヒッタイトではムルシリ2世が王に即位する。前回でも書いたが、篠原千絵のヒット漫画『天は赤い河のほとり』の王子、カイル・ムルシリは彼のことだ。
ムルシリ2世の時代は、彼自身の年代記が粘土板文書として発見されているので、ヒッタイトの歴史の中ではかなり多くのことがわかっている。
彼は遠征をして多くの住民を連れ帰っているが、それはヒッタイト王国の人口が疫病(天然痘など)で激減した事とも関係している。
そのころ、シリアにはエジプトとの緩衝国としてアムル王国があったが、これを徐々に従属国化。
西のエーゲ海地域では、アスワ(トロイ)、さらに西にはミケーネ王国が栄えていたのもこの頃だ。


エジプトでは第19王朝が始まる
ムルシリ2世が亡くなる頃(前1295年ごろ)、エジプトでは第19王朝初代の王ラムセス1世によるわずか3年の短い治世を経て、息子のセティ1世が跡を継いだ。
エジプトでは久しぶりの父子継承だった。
セティ1世は、アメンヘテプ4世以来、半世紀に及ぶエジプトの混乱で失われていたシリアでのエジプトの宗主権を取り戻そうと、北シリアへ遠征。
ただし戦いには勝利したが、エジプトが引き上げるとまた元の状態に戻ってしまった。
セティ1世の後を継いだのは、エジプト王の中でも特に名高いラムセス2世(在前1279〜前1212年)だ。
ラムセス2世は、シリアでヒッタイトに従属しているアムル王国が、ヒッタイトの支配を快く思っていないのを知り、北シリアへ進軍してこれを属国化する。
一方、ヒッタイトではムルシリ2世の息子であるムワタリ2世が王位についていた。
ムワタリ2世はエジプトに対抗するため、アレッポやアナトリアの諸都市の同盟軍を引き連れ、シリアのカデシュに向かう。
兵力はそれぞれ2万人前後。こうして前1274年ごろ、世界史に名を残す「カデシュの戦い」が始まった。

カデシュの戦い(前1274年ごろ)
カデシュの戦いは、戦闘の経過が分かる「世界でも古い戦い」と言われている。
ヒッタイトは偽情報でエジプト軍をうまくおびき出し、エジプト軍を襲った。
強行軍で4軍団がバラバラになってしまったエジプト軍は個別に撃破されそうになり、もはや壊滅とみられたが、援軍が到着。
なんとか戦いを引き分けに持ち込んだ。こうして北シリアでのエジプトの覇権はまたも打ち砕かれる。
エジプトのルクソールの神殿にある浮き彫りには、ラムセス2世の大勝利が描かれているが、実際はこの戦いの後、アムル王国はヒッタイトの傘下に戻っているので、結果を出せなかったのはエジプトの方だろう。(続く)


# by mahaera | 2019-04-12 10:21 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)