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旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

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タグ:世界史 ( 50 ) タグの人気記事

子供に教える世界史[古代編] 人種・語族・民族

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(写真)山川出版社の「世界史」の教科書より。こんなにあるが、別に覚えなくていい。
ただ、たくさんあるなとわかれば。1万年ぐらいかけて、いろいろな言語に分かれたので、
またあと1万年ぐらいしたら、今度は「地球語」と統一されているかも。

[人種]
もともとは大差なかった今の人類が、
世界中に拡散していくうちに、
その地域の自然環境に合わせて適応し、
身体的な特徴が分かれ、「人種」が生まれた。

人種に関しては、歴史の中で優劣が論じられたこともあるが、生物学的な特徴を表した単なる環境適応であって、文化的なものとは関係ない。
現在はコーカソイド、ネグロイド、モンゴロイド、オーストラロイドの4人種分けが一般的だ。
「ネグロイド」は「黒人」とくくってしまうと全部同じのイメージがついてしまうが、他の人類と異なり「出アフリカ」をしていないので、遺伝子的には一番の多様性を持っており、さらにコイサン系の「カポイド」と、ニジェール・コンゴ系の「コンゴイド」に分ける場合もある。
ただし、この4大人種分けは生物学なものなので、
社会にそのまま使われるわけではない。

「コーカソイド」が白人というわけではなく、
コーカソイドのインド人は、
アメリカでは人種では「アジア人」とされているが、モンゴロイドではもちろんない。
以上の4大人種がさらに分岐し、
DNA的には18集団に分かれたという。
最終的には1万年ぐらい前には、住んでいる地域ごとに、現在に近い特徴がほぼ決まったのだろう。


[語族]
人類がいつから言葉を話すようになったのかはわからないが、初期の頃には簡単な言葉だったものが、時代を経るにつれて複雑化し、異なる地方では通じないほどに分化していった。
世界史では同じ系統の言語を話す集団を「語族」としているが、これは「人種」や「民族」とは直接は関係ない。
同じ言葉でも違う民族もいる。
かつて世界には「谷を越えたら別の言葉」のように無数の言語があったが、人々の行き来が簡単になったり、その地域が大きく統一されたりして共通言語が生まれると、いつしか共通言語しか使われなくなることもある。
少数派の言語は、多数派に組み込まれると、何世代後かには使われなくなるのだ。
今でも毎年のように多くの言語が消滅している。

世界史でよく出てくるのは「インド・ヨーロッパ語族」だが、これは人口でいえば世界の6%を占めるのみだが、公用語としている国が世界の国の約半数ということでその影響力は大きい。
インド系とヨーロッパ系の言葉が分岐したのは前4500年ごろと言われている。
イタリア系とゲルマン系の言葉が分岐したのは紀元前1世紀ごろというので、ローマ人はゲルマン系の言葉を理解したのだろう。
ちなみに古代ギリシャ語はもっと早く分岐していたので、ローマ人は習得しなければ通じなかったかもしれない。


[民族]
民族は言語を基盤としているものの、文化的伝統を同じくする集団を示す。
なので見た目が違ったり、言葉が違ったりしても、同じ文化的集団に属していれば同じ民族とする場合が多い。
民族と国家は別物で、どちらかといえば民族主義は長い間「アンチ国家」で、多民族を統治する国にとってはあまり触れたくない問題だった。
国の場合は広く覇権を広げたい傾向があるが、民族主義の場合は、極端に言えば自分の住む谷だけでまとまりたいのだ。
ということで、世界史の中で、民族が意識され、民族主義が国家と結びつくようになったのは19世紀以降。
それまでは「〜人」という意識はあったものの、それと国家は別という感覚が世界の大半を占めていた。


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by mahaera | 2018-12-12 11:06 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]巨石文化(前3500〜前2500年)

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ヨーロッパで生まれた巨石文化

教科書では先史時代の項目に入れられているが、
シュメール文明やエジプト文明が栄えた前3000〜2000年にかけて、ヨーロッパ各地で巨石記念物が立てられている。
これは文字や都市化をともなう「文明」と呼ぶほどのものではないが、「文化」とは呼べる特徴があるので、ここで簡単に触れておこうかと思う。
代表的なものはイギリスのストーンヘンジや、アイルランドやブルターニュ地方のドルメンがある。
おもに地中海沿岸から離れた、北海、バルト海、
大西洋岸に史跡が多い。
多くは自然石を並べたり、表面だけ一部加工したりしたもので、ピラミッドやジクラットのような建造物にまでは発展しなかった。
こうした巨石を使った記念物は世界中で見られ、なかには太平洋の島々など、近年まで建てられていた地域もある。

ヨーロッパに農耕が普及したのは、前6500〜前4500年ごろ。
このころはまだ世界は今よりも温暖で、急速に後退する氷河の後に開けた草原が広がっていたことだろう。
農耕と牧畜による人口の増加は、
やがて社会に富の不均衡と階級を生み出す。
権力者は大きな墓を作るようになり、
また宗教も広まるようになっていった。


ドルメン、メンヒル、そしてストーンヘンジ

メソポタミアやエジプトでは町ができ始めていた
前3500年ごろ、ヨーロッパに町らしいものはなかったが、
石の柱が石の屋根を支える「支石墓(ドルメン)」が
各地に作られるようになる。
一方、屋根がなく石の柱が立っているだけのは
「メンヒル」という。
フランスのブルターニュ地方のカルナック巨石群
約2800個の石柱が4kmにわたって並んでいるが、
立てられたのは前3000年ごろという。
一番大きなメンヒルは、かつて高さ20メートルあったというが、今では壊れてしまっている。
こうしたドルメンやメンヒルの多くは、キリスト教が布教すると異教のものとして倒されたり壊されたりしてしまった。
なので昔はもっと数があったのだろう。

イギリスのストーンヘンジは、前3000年よりも
前から人々がその場所に“何か”を作っていた跡があるが、
木の柱だったため穴の跡以外は現存していない。
前2600年ごろには40km離れた石切場で切り出された石が使われるようになる。
ストーンヘンジの列石は前2000年ごろまでに建てられるが、
のちに放棄されてしまう。

地中海のマルタ島にも巨石建造物がある。
こちらは「神殿」といわれる建造物で、
前4500年〜前2000年の間と作られた年代が幅広い。
メソポタミアやエジプトの文明と関係があったのかも、
あまりよくわかっていない。
「文明」にまでは発展しなかったが、
こうした巨石文化があったことは知っておくといいだろう。


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by mahaera | 2018-12-11 12:58 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介7(古代オリエント)その4「古代エジプト文明 」「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」

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■古代エジプト文明―歴代王国3000年を旅する (VISUAL BOOK)  

PHPエディターズグループ 1999年 レンツォ ロッシ 著
豊富なイラストによるビジュアルブックで、古代エジプトの人々の生活を解説している。
王朝史やピラミッド建設などはともかく、文字だけだとわかりにくい一般人の生活ぶりや農作業の様子などは、こうしたビジュアルで見せてくれるとわかりやすい。
一方、それに添えられた文の方は、翻訳のせいか流れがわかりにくく、頭に入ってこないのが難。
ただし、通史本を補完するという意味で、良書だと思う。

★★★★


■エジプト神イシスとオシリスの伝説について (岩波文庫) 文庫 –

 1996年 プルタルコス 著 岩波書店
有名なイシスとオシリスの神話についてまとめた本かと思って読んだら、あてが外れる。
筆者のプルタコスは、エジプトの神々はギリシャの神々と同じという先入観をもっており、その上で書いているのでしっくり来ない。
プルタコスがエジプト神話を聞いて、これはギリシャの〇〇のこと、というように書いているのだ。
そのため、エジプト神話の神々の関係や流れがわかりにくいし、また翻訳の注釈もどうしたいのか目的を見失っているようにも見える。
ということで、エジプト神話をざっくりと知りたかったら、本書よりB級映画の『キング・オブ・エジプト』を観た方が2時間で理解できるかも。


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by mahaera | 2018-12-03 19:01 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

最新映画レビュー『セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!』もしこんな出来事が起きていたらと、ほっこりするコメディら


監督:エルネスト・ダラナス・セラーノ
出演:トマス・カオ、ヘクター・ノア、ロン・パールマン
配給:アルバトロス・フィルム
公開:121日より新宿武蔵野館ほかにて公開

■ストーリー
1991年のキューバでは、欧州での共産主義陣営の崩壊を受け、経済が深刻な打撃を受けていた。
また若者たちを中心に、価値観も変わろうとしていた。
そんな中、モスクワ大学に留学し、大学でマルクス主義を教えているセルジオも
社会の変容に戸惑っていた。
セルジオはアマチュア無線が趣味で、彼の苦境を知ったニューヨーク在住の
交信仲間のピーターかり最新式の無線キットが送られてくる。
しかしそれは当局にセルジオが目をつけられることでもあった。
ある日、セルジオはソ連の宇宙ステーション「ミール」の宇宙飛行士セルゲイと交信する。
やがて2人はお互いの家族のことや将来への心配を語り合える親友になっていった。
12月、ソ連は消滅しロシア連邦となる。
地球に帰りたいセルゲイのために、セルジオはある計画を練るのだが。。

■レビュー
最初にこれは実話ではなく、「もしあの出来事の舞台裏でこんなことがあったら」
という想像を膨らませたフィクションであることを知らせておこう。
僕も映画を見るまでは実話かなと勘違いしてた。
若い方はご存知ないと思うが、1989年に長年続いていた東西両陣営の
冷戦構造が崩壊したのは、あっけないほどの速さだった。
超大国ソ連も一気に崩壊し、たちまち貧乏国になってしまった。
そんな国家の混乱の中でも宇宙飛行計画は続いており、宇宙ステーションのミールに
ひとり取り残されたセルゲイは、「最後のソ連国民」と呼ばれていたという。

宇宙飛行士セルゲイ・クリカレフは実在の人物だ。
10年に渡って宇宙滞在時間の最長記録を保持しており、
映画のモデルとなったのは1991519日からの宇宙滞在で、滞在が延長される中、
1225日にソ連から離脱してロシア連邦が成立する。
セルゲイが帰還したのは翌年の325日のことだった。

映画は全体的にはコメディタッチで、基本的には出てくる人物は善人か、
悪役となる権力者側も“間抜け”に描かれ、陰惨な感じはない。
もちろんその中にも、キューバ国民の将来への不安やその後に起こること(ボート難民など)が
顔をのぞかせてはいるが、国家が頼りにならないとなると、
人々は違法ながらラム酒を作ったり葉巻を巻いたりと、たくましく生きる姿に描かれている。

気楽に観られる映画で、後味もいいが、
もう少しひねりが欲しかったかな。無い物ねだりだが。
★★★
(旅行人のウエブサイト「旅行人シネマ倶楽部」に寄稿したものを転載しました)

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by mahaera | 2018-12-02 09:12 | 映画のはなし | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介6(古代オリエント)その3「人類の起原と古代オリエント」「世界一面白い 古代エジプトの謎」

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■人類の起原と古代オリエント (世界の歴史)  1998年
 中央公論社
昔から続く、世界史全集の第1巻。
図書館には常備されている定番だ。
人類の誕生、先史時代、農耕と牧畜、シュメールと古代メソポタミア、古代エジプトまでが解説されている。
旧版に比べると図版やカラー写真が飛躍的に増え、見ていて楽しい本になっている。
かといって読みやすいかというとそうでもなく、多くの専門家がバラバラに書いたものをまとめたという印象が少なくない。
つまり通して読んで世界史の流れがわかるかというと、よくわからないのだ。
専門家の章ごとにはいいところもあるのだけれど。
高校生の副読本としては、ダメだろう。
文庫版も出ているが、図書館で借りてつまんで読むのがいい。
★★


■世界一面白い 古代エジプトの謎 【ピラミッド/太陽の船篇】
 2010年 中経文庫 吉村作治 著

学会とか専門家からは、いろいろまちがっていると批判もある吉村作治だが、古代エジプトの魅力を誰にもわかりやすく普及させた功績は大きい。
この人の魅力は、とにかく「素人にもわかりやすく」だ。
この本は先史時代から古王国時代までのエジプトの歴史本だが、一般の人が興味を持つように(多少ベタでも)工夫されている。
通俗的かもしれないがそれは重要だ。
意外に先王朝時代までも詳しく解説されているのは助かった。
読み応えがあるのは、本人が一番押している「太陽の船」のくだりだろう。
文庫本は中古で投げ売りされているので手に入れやすい。
★★★★


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by mahaera | 2018-12-01 12:05 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介(古代オリエント)その2「四大文明 (メソポタミア) 」「家畜の文化 」

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■四大文明 (メソポタミア) (NHKスペシャル)
日本放送出版協会 (2000/07)
松本 健 (編集), NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト (編集)

当時放映されていたNHKスペシャルの書籍版だが、

特に番組と内容は連動してはいないようだ。
取材班のルポ(苦労話)などのほかにシュメールからアッカド、

アッシリアに至るまでのメソポタミア文明の概説がある。

が、面白いのは、衣服や食べ物などについてのコラムのほうだ。枝の部分の読み物が面白い。
また豊富なオリジナル写真や画像が使えるのは、予算がふんだんにあるNHK出版らしく、これは贅沢。
内容的には古くなってしまったが、中古で投げ売られているので手に入りやすいはず。

★★★


■ヒトと動物の関係学〈第2巻〉家畜の文化
秋篠宮 文仁 (著), 林 良博 (著)  岩波書店 (2009/2/26)
世界史の中でいかに動物が家畜化されていったかを知りたくて読んだが、必要なところは最初の数十ページ。
幾つかの章ごとに専門家が自分の専門分野について述べている専門書で、面白くない。
全体的なことより、それぞれの地方の民族と特殊な家畜の関わりが多く、僕の目的とはズレた。残念。


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by mahaera | 2018-11-30 11:33 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その10・最終回)

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(写真)時代が下った新王国時代のコムオンボの浮彫だが、人物の造形は古王国時代から変わらない。
どの人物や神も決まった比率で描かれている。


ミイラ作り
エジプト人は死後の世界を信じ、
死んだ後も生前と同じような生活をすると考えていた。
そのため王などは副葬品を墓に入れ、魂が戻ってこられるように、死体に防腐処理を施しミイラにした。
ミイラ作りが始まったのは、前3000年頃の初期王朝時代。
当初はミイラを作るのは王や王族だけだったが、
時代が下り、王権が弱体化していくと経済力のあるものも
ミイラや墓を作っていくようになる。


文字と言語
最初の方にも書いたが、古代エジプトでは王朝時代より前のナカダ文化の時代にすでに初期のヒエログリフが生まれていた。
最初は漢字のような表意文字から生まれたが、
単純に音を表す表音文字としても使われるようになった。
短い文が土器などに書き添えられる程度だったが
次第に複雑化し、前3000年頃の初期王朝時代から
古王国時代にかけて文書レベルに発展していく。
第3王朝以降は建物に石材が使われるようになり、
そこに文字が書き込まれるようになる。
土器に比べれば広いスペースが与えられ、
長い文章が書けるようになったのだ。
文字の数は1000を超えた。
パピルスに文字が書かれるようになったのも、この頃ではないかと言われている。
ピラミッド時代には官僚も増えて、
文字が読み書きできる人も増えた。
とはいえ、人口の1パーセントにも満たなかったようだ。


古代エジプトの美術
世界の考古学博物館で、エジプト美術が大きなセクションを占めるところは少なくない。
一目見て古代エジプトだとすぐにわかる様式美は、古王国時代に確立して以来3000年間ほぼ変わることがなかった。
この時代のエジプトでは、今でいう美術は「美」を追求ものではなかったからだ。
神や人間の描き方は決まっており、そこから逸脱することはなかった。
絵は観賞されるために描かれるのではなく、そこに「存在させる」ために描かれた実用的なものだったからだ。
神や人物の顔は横向きだが目は正面、肩は正面だが腰から下は足を開いた横向きで、グリッド(方眼)に沿って同じ方で描かれた。
絵を描く前にグリッドが描かれ、足元から頭の高さまでを18等分し、頭や肩、手の長さなどのフォルムをどこに描くかはほぼ決められていた。
誰が描いても同じプロポーションだが、
出来不出来の差があまり生まれないという利点もあった。
工芸品は古王国時代の王族の副葬品などから発掘されている。


以上、初期王朝時代(前3100年頃〜前2180年頃)から古王国時代(前2686頃〜前2181年)までの古代エジプト第1王朝から第6王朝までを見てきた。
以降の古代エジプトの王朝期の基本はすべてここでできている。宗教観や生活スタイルは3000年、ほぼ変わらなかったのだ。息子的には、勇ましい戦争の話が出てこなかったので退屈だったかもしれない。
次回からは前3500〜2300年ごろのメソポタミアとエジプトの周辺地域をざっくり見ていく予定だ。


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by mahaera | 2018-11-28 10:39 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その9)

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古代エジプトの社会構造

古代の他の王国の王が神職と統治が分離していったのに対し、古代エジプト王朝では2500年に渡り最後まで王を頂点とする神権政治が行われた
王は地上の統治者であり、唯一、神と同等な“生ける神”だった。
とはいえ、人間ではあるので、生まれて老いて死ぬことには変わりなく、また裏切られて殺されたり、廃位させられたりすることもあった。
ざっくり言うと、昔の日本の“天皇”に近いイメージだろうか。
違うのは重要視されるのが、“血統”ではないことだろう。
古代エジプトには30の王朝あり、血筋に関係なく続いている。
そのあたりは王朝が変われば人々は気にしなかったのだろう。
基本的な統治システムは、王を頂点に宗教的な祭儀を行う神官たち、実際の統治を行う宰相と高官、その配下の官僚機構に分かれていた。
成文法はまだないが官僚社会であり、官僚の主な仕事は王国の財政を維持する「徴税」だった。
そのためには、帳簿をつける多くの「書記」が必要で、
それには文字の学習が必要だった。


古王国時代の都市と人口

官僚組織が整い始めたのは第3王朝以降のピラミッド時代だ。
官僚機構が整ったからこうした事業が達成できたのか、

それとも事業を通して官僚機構が整ったのかは両方だろう。
とにかく巨大ピラミッドを造るには国家システムが整っていなければ無理で、穀物の徴税と分配がすみやかに行われるようになった。
古代エジプトは「都市なき文明」と呼ばれるほど、都市人口が少ない古代文明だったと言われている。
古王国時代の人口は資料によれば120万人程度で、そのうちの95%は農村に住んでいた。
農村の人口は平均して450人ほどという。前3000年ごろの古王国時代には、都市と呼べるのは首都となったメンフィスと宗教的な都市アビドスぐらいしかなかった。
人口はメンフィスが2〜3万人、アビドスが2万人ぐらいと推定されている(ただし同時期、人口で対抗できる都市は世界でもウルクとスーサぐらいしかなかった)。
前2300〜前2000年ごろもメンフィスの人口は3万人程度、
その代わり宗教都市ヘリオポリス(カイロ近郊)と
上エジプトの中心テーベ(ルクソール)がそれぞれ人口2万人ずつになっていた。


古王国時代の対外交易
古王国時代の外国は、ナイル上流のヌビア、シナイ半島から先のパレスチナ、そして西の砂漠の向こうのリビアだった。
ヌビアからは金や水晶などの鉱物資源、象牙、香料、傭兵がもたらされていて、たまに遠征も行った。
パレスチナヘ向かう途中のシナイ半島には銅鉱山があり、またエジプトにはないレバノン杉や香木、オリーブやワインなどがもたらされ、さらに先の西アジアの国々との交易も行っていた。
もっとも遠くのものは、アフガニスタン産のラピスラズリが出土している。
ただし対外交易はほぼ王家によって行われ、一般の人々が交易をし、商人が生まれるのはエジプトではもっと後の時代になってからだ。(続く)


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by mahaera | 2018-11-27 10:18 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その8)

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(写真)シーワオアシス。手前の丘上にある廃墟がかつての町。日干しレンガの壁は泥に還りつつある

狩猟から牧畜へ
前3000年ごろ、エジプトが王朝時代に入った頃はまだ人々の生活で狩猟は大きな非常を占めていたが、次第に乾燥化が進み、ナイル川領域にすんでいたゾウやライオン、カバなどの大型野生動物はその数を次第に減らしていった。
他にもアンテロープ、オリックス、カゼル、ウサギが狩猟の対象だった。
また、ナイル川沿いの湿地には多くの野鳥が訪れていたので、野鳥を捕らえてよく食べていたようだ。

漁労は古代を通じて盛んで、
狩猟よりも簡単に動物性タンパク源得ることができた。
骨角器でモリや釣り針を作り、
パピルスの舟に乗って漁網を使っての漁労が行われた。
収穫された魚は、ナイルパーチ、ティラピア、ナマズ、ウナギなどだ。

狩猟の代わりに牧畜はこの時代に広まった。
ウシは畑仕事に欠かせない家畜だったが、農民個人が所要するのは高価で難しかったかもしれない。
また、食用として一般人が牛肉を食べるのは稀だったろうが、その骨や皮や角などが工芸品に、
糞が肥料や燃料として使われた。
ヒツジやヤギは飼育しやすく繁殖も早いので、広く飼われた家畜だった。
肉やミルク以外にも、皮や毛が衣服の材料に使われた。
そのほかにもブタ、アヒル、ガチョウ、ニワトリ、ハトが肉用に飼育された。


住居と衣服
人々の住居は基本的には日干しレンガで造られ、壁には漆喰が塗られていた。
貴族や王族の住居の壁はさらに彩色されていたようだ。
門の枠や天井の梁など一部は木材も使われていたが、石材が使われるのは宗教的建造物や、建物の消耗する部分(敷居や軸受け)ぐらいだった。
王族や貴族の家には木製の家具があったようだ。

人々はこのころどんな服を着ていたのだろうか。
古代エジプト人がもっとも着ていたのは「亜麻」から織られた衣服だった。
まず、亜麻から作った繊維をより合わせて糸を作る。
繊維の太さは、亜麻の収穫時期をずらして調節していたようだ(早いほど細い繊維になる)。
前3000年頃の初期王朝時代には機織り機による平織りも行われていた。
他にも、さまざまな動物の皮を使った獣皮も服の材料として使われていた。

衣服のスタイルは、紀元前の約3000年間、古代エジプトではほとんど変わらなかった。
男は亜麻などの腰布を巻いて上半身は裸。
女性は長い筒状の布で胸元から膝下まで覆っていたが、農民など一般庶民の女性は腰巻だけという者も少なくなかったようだ。
王族や貴族は装飾的な服や装身具もつけていた。
腕輪や指輪、首飾り、ヘアバンドなどをつけ、アイシャドウなどのメイクも欠かさなかった。(続く)


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by mahaera | 2018-11-24 10:18 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]古代オリエント文明(前3500〜前2300年ごろ)2・エジプト古王国時代(その7)

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古代エジプトの農民の生活

ここで古代エジプトの人々の生活を見てみたい。
2500年にわたる古代エジプトだが、その生活スタイルはその間、驚くほど変化していなかったようだ。
古代エジプト人の大半は農民だが、
漁業や職人と兼業するものもいた。
ナイルの増水期の7〜10月の間、人々は農作業を休むがその間、暇ではなかった。
ピラミッドに代表される大規模な公共事業もあったが、
たいていは地元の運河や堤防の補強やダム造り
農地を広げるための灌漑作業が共同作業で行われた。
ナイルの水は集水溝を通って耕地に耕地に運ばれるが、
その前に沈んだ土砂を取り除かねばならなかった。

耕地が完全に冠水してしまう前に、
農民たちは家畜を高地に移動させた。

この頃にはアシの茂みには多くの水鳥や小動物が集まってくるので、男たちはそれを狩ったり、漁業に精を出したりした。
鳥は罠や網、弓、投げ棒で獲っていたようだ。
網や釣り針を作る技術も発達した。
女性や老人は貯蔵用に肉を塩漬けにしたり、魚を干したりするほか、

布を織ったり、網の補修などもしていた。


11月中旬になり水が引いていくと、種まきの季節となる。
農民は耕地に家畜を走らせてその蹄で畑を耕したり、
柔らかくなった土の上を木製の鋤(すき)を2頭の牛に引かせたりした。

これは手早くやらないと、土が乾燥して耕すのに固くなってしまう。
それでも手に負えない時は、木製の鍬(くわ)で、
泥の塊を打ち砕いた。
穀類は、パンを作るための小麦と、ビール(当時はまだ粥状で食事としてとらえられていた)のための大麦がメインだった。
次にはタンパク質の供給源として豆類が栽培された。
レンズマメ、エンドウマメ、ソラマメが栽培されていたことが知られている。
野菜類は、レタスやネギ(リーク)、ニンニクや玉ねぎが、
果実類ではスイカやメロン(果肉ではなく種を食べていた)、イチジク、プラム、ザクロ、ナツメヤシなどが栽培された。
他にもゴマなどから油が取られていたようだ。
ブドウからワインも作られたが、庶民が飲むようなものではなく、王侯貴族の贅沢品だった


収穫は5 月半ばから7月半までの2ヶ月で、農民にとってこの時期がおそらく一番忙しい時期だったことだろう。
収穫時期は南の上エジプトから北の下エジプトとずれるので、一部の者たちは収穫をしながら北上していった。
刈り入れは、木に硬い石で作った刃を取り付けた鎌で行った。穀物は脱穀場へと運ばれ、家畜によって籾が踏み落とされ、空中に放り投げて殻を風の力で飛ばした。
穀物以外にも、この時期は亜麻やブドウが収穫された。
早く収穫しないと、ナイルの増水が始まってしまうので、
時間は限られていた。

収穫が終わると、国から派遣された書記官が収穫状況をチェックし、人々から税を徴収した。
若くて力のあるものは労働者として
運搬に徴用されたかもしれない。

税を国庫に入れるため、
ナイル川を毎日多くの船が行き来した。
村のほとんどはナイル川沿いにあり、
葦や木で作った船が行き来した。
基本的には風は南から北に吹いていたので、下る時は水の流れ任せ、上る時は帆を張って風の力で上流へと向かった。
それを補完するために10人ほどの漕ぎ手が乗船していた。(続く)


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by mahaera | 2018-11-22 13:54 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)