人気ブログランキング |
ブログトップ

旅行・映画ライター前原利行の徒然日記

mahaera.exblog.jp

タグ:世界史 ( 86 ) タグの人気記事

子供に教える世界史[古代編]前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その3 出エジプト記

b0177242_11580265.jpg
(写真)シナイ山の日の出。今ではユダヤ、キリスト教徒にとって有名な巡礼地だが、そもそもこのモーセが登ったシナイ山は旧約聖書の記述からするとこの場所ではなかったという説も数多くある。が信じる者からすれば、どこでもいいのである。

モーゼに率いられた「出エジプト」は本当にあったのか。
そもそも旧約聖書を、歴史書としてみていいかという問題もある。
旧約聖書の通りなら、エジプトから壮年男子だけでも60万人、家族を入れたら200万人という規模のヘブライ人の移動があったことになるが、それは有り得ない。
このころのエジプトの都テーベ(ルクソール)でさえ人口は7万人程度だったのだから、本当は数百人だったのではないか。
ともあれ、世界史の中では「出エジプト」はあったのか、あったとしてもどの程度の規模だったのかは、今もよくわかっていないのだ。
ただ、あったとしたら、ラムセス2世の長い在位時代の前1250年ごろだったという。

また、ヘブライ人が一神教になったのもエジプトにいる間という説もある。
「世界初の一神教」と言われているのが、前14世紀にエジプトのアメンホテプ4世が始めたアトン信仰だ。
他の神を崇めることを禁止したこのアマルナ革命はアメンホテプ4世の死後に頓挫したが、当時エジプトに移り住んでいたヘブライ人の間で広がったというのである。

「出エジプト記」の中で示される「十戒」の最初は「汝は私の他に何者も神としてはならない」だが、これは深読みすれば「十戒」以前のヘブライ人は多神教だった、あるいは多神教の人々もいたことを示している。
また次に「汝は自分のために刻んだ像を造ってはならない。」と偶像を禁止しているが、これもそれまで偶像を拝むものがいたということだ。

「出エジプト記」でモーゼがシナイ山に登っている40日の間、脱出したヘブライ人たちは待ちくたびれてモーゼの兄アロンに別の神を頼み、偶像として造られた“金の牡牛”を拝む。
当時、牡牛は偶像としては珍しいものではなかった。
エジプトだけでなく、ミノア文明でもインダス文明でも牛は神聖なものだった。
が、モーゼの怒りは凄まじく(まあ自分の仕事ぶりを皆が裏切ったのだから)、十戒の石板を割り、金の牡牛を燃やし、扇動した3000人を殺害する(こわ)。

旧約聖書の「モーゼ五書」のうち、ストーリー的に「出エジプト記」に続くのは「申命記」だ。
これは出エジプトの2年2か月後から始まり、ヨルダン川にたどり着く40年後までを記したもの。
モーゼはそんなシナイ半島からそう遠くないカナン(パレスチナ)に入るまで本当に40年かかったのかだが、当然ながら先住民がおり、聖書の記述を信じるならばそれを滅ぼしながらなので、まあ時間がかかったに違いない。
またこの時代も、ヘブライ人は王に率いられるのではなく、多くの族長に率いられた部族の連合体だった。
それが統一されるまでには、あと100〜200年はかかったのだ。(続く)


by mahaera | 2019-04-20 12:00 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その2 ヘブライ人の登場

b0177242_12244812.jpg
(写真)トルコ東南部にあるシャンルウルファは、トルコではアブラハムの生誕地と信じられている(イラクは自国のウルと主張)。古代ローマ時代にはエデッサと呼ばれていた。これはそこにある「聖なる魚の池」。モスクの中庭にある。

ユダヤ人の先祖・アブラハム
旧約聖書によれば、ヘブライ人(自称はイスラエル)は、もともとチグリス・ユーフラテス川上流地域で遊牧生活を送っていた。
最初の預言者となる族長アブラハム(イスラーム教ではイブラーヒーム)がその祖先という。
「創世記」では、天地創造、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔と神話的な話が続き(1章から11章まで)、その後に歴史も混じったようなアブラハムの話(12章から25章まで)が続く。

カルデアのウル(イスラーム教ではトルコのシャンルウルファとされている)出身のアブラハムは一族を連れてカナン(現在のパレスチナ)を目指すが、途中のハランの地(現在のトルコのシャンルウルファの郊外)に住み着く。
アブラハム75歳の時にようやくカナンの地への移住を果たすが、その後、飢饉に襲われてエジプトの地へ移り住んだ。
やがてアブラハムの一族はエジプトで財産を築くことができ、カナンの地へ戻った。
その時、ヨルダン川西岸に住んだアブラハムに対し、弟のロトの家族はヨルダン川東岸(ソドムやゴモラがある地)に移り住む。
アブラハムと妻サラとの間には当初、子供ができず、アブラハムは奴隷のハガルを妾としてイシュマエルが誕生する。
しかし正妻サラとの間にイサクが生まれると、ハガルとイシュマエルは砂漠に追いやられ、アラブ人の祖先となった。
これは「創世記」の記述だが、それをそのまま実際の歴史に当てはめることはできない。
ただし、当時(旧約聖書が編纂された頃)のヘブライ人が信じた「歴史」であることは確かだ。

「出エジプト記」前編
ヘブライ人はやがて集団でカナンから南下して、エジプトに移り住んだ。
これが歴史上のいつのことかというと、彼らに“好意的な王朝”ということで、地中海東岸からやってきてエジプトを支配したヒクソス王朝時代(前18〜16世紀)と言われている。
ヘブライ人はおそらく、ヒクソスと共にエジプトへやってきたのだろう。
やがてエジプトはヒクソスを追い出して新王国を築いたが、その後もヘブライ人はエジプトにとどまった。
この時、エジプト人に「ヘブライ人」と言われるようになったらしい。
旧約聖書によれば、奴隷として迫害されたヘブライ人は、指導者モーゼに率いられてエジプトを脱出し、シナイ半島を経てカナンの地へと移り住んだ。
ただし、旧約聖書にはエジプトの史実上の王名がないこと、エジプト側にヘブライ人の脱出の記録がないことから、それがいつか、本当にあったことなのは今も特定できていない。(続く)


by mahaera | 2019-04-19 12:26 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]前1200年のカタストロフとオリエントの混乱/その1 都市化と疫病の蔓延

b0177242_11173332.jpg
(写真)天然痘はもともとはラクダの病気だったという説がある

前回までは、インド=ヨーロッパ語族の移動後の前1600年ぐらいから前1200年ぐらいまでのオリエントの歴史を、エジプト新王国とアナトリアのヒッタイトの2大王国の対立を軸に述べてきた。
その2大国の間、チグリス・ユーフラテス川上流にはミタンニアッシリア、中下流域にはカッシートの王朝があったが、これはまあ名前だけ知っていればいいかなと思う(アッシリアが大国になるのはもっと後)。

ここから先は、世界史の中では小さな事件だったかもしれないが、のちの世界の文化や宗教に大きな影響を及ぼした「ユダヤ人の出エジプト」と「トロイア戦争」についての話、そして「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる破壊を伴った大きな民族移動の章になる。
ただし、どれもエジプトやヒッタイトの記録にない出来事なので、歴史的には証明されていないことも多いが、教科書にはバッチリ出ている。
それと前2000年から前1200年までに人類に起きたことで、国家や政治に関係がなかったので書き漏らしたことも、忘れずにこの章で書いておこう。
農業生産や都市化、牧畜、そして疫病だ。


都市化と疫病の蔓延
紀元前2000年から前1000年にかけて、世界人口は2500万人から5000万人へ1000年かけてゆっくりと倍に増えていった。
前2000年頃は人口6万人という都市はエジプトのメンフィス、メソポタミアのウルぐらいしかなかった。
前1500年〜前1200年ごろにはオリエントではエジプト新王国の都テーベ(ルクソール)とメソポタミアのバビロンが8万人、3万人以上の人口を持つ都市は、メンフィス、ミケーネ、クノッソス、ハットゥシャ、ニネヴェ、スーサなどがあった。
ただし当時の世界最大の都市は10万人以上が住んでいた殷の商(殷墟)という。
ともかく農作物や家畜の品種改良も進み、余った人口は都市に流れ込んでいった。

家畜と人間の密な接触は、それまで人間がかからなかった新しい病気を家畜から移される機会を急速に増やした。
特定の動物にかかる病気のうち、長い時間をかけて人間にもかかるように進化したものもある。
家畜起源の代表的な感染症には、牛からのはしか、結核、天然痘、豚やアヒルからのインフルエンザがある

天然痘はラクダから広まったという説もある。
ラクダの家畜化は前3000〜2000年で、最初は乳や肉を取るためだった。
前1500年ごろから“砂漠の船”として交易に使われるようになると多くの地域に広まるが、病原菌も広まった。
前13世紀にヒッタイトの人口が半減したのも、エジプト人捕虜から移ったラクダ起源の天然痘が広まったためという説もある。

移動が多い狩猟民の生活から定住農耕民、都市生活と人間の生活スタイルが変わると、病原菌は簡単に次の宿主に簡単に感染擦ることができる。
不衛生な都市では、感染者の糞尿から次の感染先へと病原菌は移りやすい。
人類が狩猟採集民である間は、狭い集団内でしか感染が広まらなかった伝染病も、この時代から交易ルートに乗って大流行を及ぼすようになる。
そして当時の伝染病は、一度流行するとこれといった治療法もなかったので、多くの命を奪うものだった。
伝染病は交易や戦争でも広がった。古代の文書には疫病や飢饉についての記述が多い。
品種改良していった穀物は、時に一斉に病害を受けやすい。
その中でもサバイブしてきた種が今も残っているのだ。(続く)


by mahaera | 2019-04-18 11:19 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介11(古代オリエント)その8 「〈2〉古代ギリシアとアジアの文明」「(3)古代インドの文明と社会」

b0177242_10150426.jpg

「図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明 2003/2/1
.M. Roberts (原著), 月森 左知 (翻訳)

古代インド(インダス文明から)、古代中国、古代ギリシア、ヘレニズムに至るまでの歴史本。豊富な写真と図版が売りのシリーズで、文章量はほどほどなので、初心者には読みやすいか。ただし、インドや中国の記述が少なくて物足りないと感じる人もいるかも。それでも教科書の副読本にはいいだろう。古本屋なら300円ぐらいでよく出回っている。★★★


世界の歴史(3)古代インドの文明と社会1997/2 中央公論社
山崎 元一 (著)

紀元前2500年ぐらいからインダス文明、古代王朝と、イスラム教が侵入して王朝を立てるまでの、3000年ほどのインドの歴史をまとめた通史。390ページとボリュームもあるので、ざっくり知りたい人には読み通すのが大変だろうが、このくらいあると読む方としてはうれしい。インダス文明が滅亡してから、釈迦などが登場するまでの1000年は考古学的な資料が乏しく、後代の文献からの推測で述べるしかないのは仕方がないのだろうなあ。★★★


by mahaera | 2019-04-15 10:16 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国とヒッタイト/その6 ラムセス2世とカデシュの戦い

b0177242_10204117.jpg
(写真)ハットゥシャシュ遺跡近くにあるヤズルヤカ神殿跡のレリーフ。ヒッタイトの神々が浮き彫りされている


ヒッタイト王国/ムルシリ2世の治世
前1320年ごろ、ヒッタイトではムルシリ2世が王に即位する。前回でも書いたが、篠原千絵のヒット漫画『天は赤い河のほとり』の王子、カイル・ムルシリは彼のことだ。
ムルシリ2世の時代は、彼自身の年代記が粘土板文書として発見されているので、ヒッタイトの歴史の中ではかなり多くのことがわかっている。
彼は遠征をして多くの住民を連れ帰っているが、それはヒッタイト王国の人口が疫病(天然痘など)で激減した事とも関係している。
そのころ、シリアにはエジプトとの緩衝国としてアムル王国があったが、これを徐々に従属国化。
西のエーゲ海地域では、アスワ(トロイ)、さらに西にはミケーネ王国が栄えていたのもこの頃だ。


エジプトでは第19王朝が始まる
ムルシリ2世が亡くなる頃(前1295年ごろ)、エジプトでは第19王朝初代の王ラムセス1世によるわずか3年の短い治世を経て、息子のセティ1世が跡を継いだ。
エジプトでは久しぶりの父子継承だった。
セティ1世は、アメンヘテプ4世以来、半世紀に及ぶエジプトの混乱で失われていたシリアでのエジプトの宗主権を取り戻そうと、北シリアへ遠征。
ただし戦いには勝利したが、エジプトが引き上げるとまた元の状態に戻ってしまった。
セティ1世の後を継いだのは、エジプト王の中でも特に名高いラムセス2世(在前1279〜前1212年)だ。
ラムセス2世は、シリアでヒッタイトに従属しているアムル王国が、ヒッタイトの支配を快く思っていないのを知り、北シリアへ進軍してこれを属国化する。
一方、ヒッタイトではムルシリ2世の息子であるムワタリ2世が王位についていた。
ムワタリ2世はエジプトに対抗するため、アレッポやアナトリアの諸都市の同盟軍を引き連れ、シリアのカデシュに向かう。
兵力はそれぞれ2万人前後。こうして前1274年ごろ、世界史に名を残す「カデシュの戦い」が始まった。

カデシュの戦い(前1274年ごろ)
カデシュの戦いは、戦闘の経過が分かる「世界でも古い戦い」と言われている。
ヒッタイトは偽情報でエジプト軍をうまくおびき出し、エジプト軍を襲った。
強行軍で4軍団がバラバラになってしまったエジプト軍は個別に撃破されそうになり、もはや壊滅とみられたが、援軍が到着。
なんとか戦いを引き分けに持ち込んだ。こうして北シリアでのエジプトの覇権はまたも打ち砕かれる。
エジプトのルクソールの神殿にある浮き彫りには、ラムセス2世の大勝利が描かれているが、実際はこの戦いの後、アムル王国はヒッタイトの傘下に戻っているので、結果を出せなかったのはエジプトの方だろう。(続く)


by mahaera | 2019-04-12 10:21 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国とヒッタイト/その5 前14世紀のヒッタイト王国

b0177242_09544400.jpeg
(写真)トルコにあるヒッタイトの都ハットゥシャの遺跡。現在は石の土台部分しか残っていない。


ヒッタイト王国が生まれたのは前17世紀だが、その政治基盤は脆弱で、強い王が出ると国土が拡張するが、王はたいてい暗殺や反乱で殺され、再び国土が縮小する繰り返しだった。
前14世紀にはヒッタイト王国は弱体化しており、前1375年頃に即位したトゥドハリヤ2世の時代には、首都ハットゥシャさえも外敵に奪われていた。
しかし彼の治世の後半には国土回復の兆しが見え、エジプトのアメンホテプ3世に娘を差し出して、国同士の結びつきを強めている。

ヒッタイトの栄光を取り戻したシュッピルリウマ1世
その息子シュッピルリウマ1世は、将軍時代に首都ハットゥシャを回復した功績を残し、父トゥドハリヤ2世の後を継いで王になった兄のトゥドハリヤ3世を殺して、前1355年ごろ王についた。
彼は有能な国王で、国内の混乱を収めて、再び対外遠征を行うようになった。
シュッピルリウマ1世は軍事力だけでなく、たくみな外交交渉も得意とし、アナトリアの多くを支配。
この時代にヒッタイトの国土は3倍になり、久しぶりにオリエントの強国に返り咲く。
次に彼は北メソポタミアの強国ミタンニを抑えるため、南メソポタミアのカッシート(バビロン第3王朝)など周辺諸国と同盟。
ミタンニを攻略して属国にし、シリア北部までを影響下に置いた。

シリア南部は当時エジプト新王国に従属していたが、エジプトがアメンホテプ4世の宗教改革などで内政が混乱すると、その機を利用して南シリアにも親ヒッタイト勢力を増やす。
それでもエジプトと戦争までは至らず、アメンホテプ4世が移した都アマルナから発見されたアマルナ文書の中には、シュッピルリウマ1世が送った粘土板が発見されている(当時の国際語であったアッカド語の楔形文字)。
しかしエジプトでファラオ(アメンホテプ4世またはツタンカーメン)が死に、その未亡人がヒッタイトの王子を婿に欲しいと要請。
王子ザンナンザを送るが、エジプトの反対派に途中で暗殺されてしまうという事件が起きた。
激怒したシュッピルリウマ1世は南シリアへの侵攻を決意。現在のイスラエルやヨルダン付近まで攻略した。
しかし戦いには勝利したが、エジプト人捕虜から持ち込まれたという疫病(天然痘)がヒッタイト国中に広まり、シュッピルリウマ1世は前1320年ごろ病死する。
その後を継いだ国王アルヌワンダ2世も前1318年ごろ病死し、王位継承権のランクとしては低かったムルシリ2世がヒッタイト王に即位する。
彼が篠原千絵のヒット漫画『天は赤い河のほとり』の王子、カイル・ムルシリであることは、知っている人は知っている。(続く)


by mahaera | 2019-04-10 09:57 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

「子供のための世界史」関連本紹介10(古代オリエント)その7「NHK ルーブル美術館 (1) 」「古代オリエントの世界」「古代エジプト文明 世界史の源流」

b0177242_11083487.jpg

NHK ルーブル美術館 (1) 大型本

1985/5 日本放送出版協会
青柳 正規(著)

古い本だが、ルーブル美術館の収蔵品の写真、特に古代エジプトとオリエントセクションをまとめて紹介しているのは貴重。歴史書を読んでいいても、こうした写真や図もないとイメージしにくい。ルーブルは特にエジプト関係が充実していて、パラパラとめくって眺めているだけでも、なかなか楽しい。★★★


古代オリエントの世界 (MUSAEA JAPONICA 8)

山川出版社(2009/8/1)
古代オリエント博物館 (編)

池袋にある古代オリエント博物館の収蔵品を主に、歴史別、テーマ別に発掘品の写真を並べて解説。悪くはないが、中身がやや薄いかな。物足りない感じはあるかも。★★


b0177242_11084359.jpg
代エジプト文明 世界史の源流(講談社選書メチエ) (2012/4/11)
大城 道則 (著)

エジプト新王国を主とした歴史解説本。要所要所のテーマを章立てて説明。割と読みやすいが、古代エジプト史をさらっと知りたい人には不向きかも。★★


by mahaera | 2019-04-05 11:10 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

子供に教える世界史[古代編]エジプト新王国 その4 ツタンカーメンの時代

b0177242_10231949.jpg

(写真)エジプトのファラオといえばツタンカーメンのこの姿が浮かぶのでは。

エジプト新王国が栄えていた紀元前14世紀ごろの、世界の状況をおさらいしてみよう。
エジプトと活発な貿易を行っていたクレタ島のミノア文明が滅び、ミケーネ人が地中海に進出
西アジアではヒッタイトが再び力を取り戻し、北メソポタミアのミタンニを破る。その影響でミタンニからアッシリアが独立。
別項で述べるが、中国では初の王朝・が誕生していた。


ツタンカーメンの即位
さて、アメンホテプ4世の死後は、アメンホテプ4世の共同統治者だったスメンクカーラー(王命表からも削り取られ謎が多い。在位も短く、墓も作られず女性説もある)の短い統治の後、その息子で幼少のトゥトアンクアムン(前1333年〜前1324年)が王位を継承する。
彼が有名な「ツタンカーメン」だ。
彼は当初はアテン信仰の時代に生まれたので「トゥトアンクアテン」と名乗っていたが、父王の死後、アメン・ラー信仰が復活。
神官団の力が増して名前を改名し、さらに都もアマルナからテーベに戻した。
即位した時はまだ少年だったため、周囲の意向が強かったのだろう。

ツタンカーメンの治世は短かったが(死亡推定19歳、身長165cmで華奢だった)、ヌビアの氾濫やヒッタイトとの戦いをこなしてはいた(この時期アッシリアがミタンニから独立)。
ただ、病弱だった可能性は高いとされている。
また墓に130本の杖が副葬され、しかも使用されていた跡があること、死の原因が骨折からの他の病気だったため、生前から足が悪かったという説もある。
ツタンカーメンについては、多くの本が出ているので詳しくはそちらを参考にされたい。
歴史上では大した業績は残してはいないが、ほぼ未盗掘の状態で発見された唯一の王の墓なので、エジプト学には大きな貢献を果たしたことは間違ない。


ツタンカーメンの死後
ツタンカーメンは若くして子を残さずに死んだため、王族の1人で先代のアメンホテプ4世の代から支えていた高官のアイが王位を継ぐ。
彼はまたアメン大神官の地位にあった。
王としての正式名称は「ケペルケペルウラー」だが「アイ」と呼ばれることが多いのは即位期間が2〜4年と短く、かつツタンカーメン暗殺説があったことから歴史学者からも軽く見られているから。
もっとも彼には子がなく。即位時も高齢と見られているので最初から“つなぎ”のファラオだったのかもしれない。
また、ツタンカーメンの王妃だったアンケセナーメンは、ツタンカーメンの死後、アイと結婚して王位の正当性を保証したが、その前にヒッタイトのシュッピリウルマ1世に手紙を送り、「王子を婿としてほしい」と要請していた。
しかし王子ザンナンザはエジプトへ向かう途中に暗殺されてしまう。
犯人は、王になろうとしたアイだったという説がある。

前1323年、アイが死ぬとアイが指名していた将軍を倒して軍人のホルエムヘプが第18王朝最後のファラオとして即位した。
ホルエムヘプは自身をアメンホテプ3世の後継者として位置付け、アマルナ時代のアメンホテプ4世、スメンクカーラー、ツタンカーメン、アイの4代の王の存在を消して、この期間の業績を全て自分のものにしている。
しかしその前の時代が不人気だったため、厳格なホルエムヘプの統治は歓迎されたようだ。
彼もまた高齢で子はおらず、遺言により腹心で軍司令官のパ・ラメスがラムセス1世として次のファラオになる(前1295年)。ここから第19王朝が始まる。

(続く)


by mahaera | 2019-04-03 10:26 | 子供に教える世界史・古代編 | Comments(0)

最新映画レビュー『サンセット』見るものの知的レベルを問う、100年前のブダペストを描く意欲作


大傑作だが何度も見るのが辛い『サウルの息子』のネメシュ監督による新作(長編第2作目)は、第一次世界大戦前夜の1913年のオーストリア=ハンガリー帝国の都ブダペストを舞台にしている。
第一次世界大戦が始まるのはちょうどその1年後の翌1914年。
大戦が終わるとオーストリア=ハンガリー帝国は解体し、オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキアなどの国に分裂。
しかし民族主義の台頭はまったく解決できず、第二次世界大戦への引き金の1つになる。
本作は、そうした結果を知っている現代の人々が、時計の針を戻して、1913年のブダペストに降り立つような映画だ。
ただし映画の中の人々は、1年後に戦争が始まり、国が無くなることは当然ながら知らない。
映画タイトルの『サンセット』とは、没落する大帝国の最後の姿のことだ。


では、簡単なストーリーを。
ブダペストにある高級帽子店であるレイター帽子店に、トリエステ(現在はイタリアだが、当時はオーストリア=ハンガリー帝国の一部)から、帽子店の創業者の娘イリスがやってくる。
2歳の時に両親が死に、イリスは身寄りがなく、トリエステで暮らしていた。
しかし親が作ったレイター帽子店で働きたいと、ブダペストにやってきたのだった。
しかし現在の経営者であるブリルは、なぜかイリスを追い返そうとする。
しぶとく帰らないイリスに、ブリルはイリスを雇うことにするが、次第に両親の死に人々が語ろうとしない謎があることを知る。
また、カルマンという兄がいて、失踪中であること。
彼がハンガリーの独立運動に関わっていることがわかってくる。。。


きっとアメリカ映画など最近の娯楽映画しか見ていない人の中には、謎が提示されるだけで回収しない本作に、集中力が途切れてギブアップしてしまう人もいるかもしれない。
ただし、1960-70年代の欧州系アート映画を見慣れた人なら、「あの雰囲気ね」と感じるだろう
つまり「謎は出すが解釈は観客に委ねる」というスタイルだ。
だから映画を見ている間は、何も知らずにやってきた主人公のように、何が起きているのかさっぱりわからない。
集中して見ても、わかることは限られている。
そして謎が次の謎を生み、答えは見つからない。
それを強調するように、カメラはイリスにぴったりと寄り添い、彼女が見たこと以上は映し出さない
それが彼女が理解出来る世界だから。


この帽子店は上流階級がお得意先で、それはハンガリーを支配している親オーストリア派(権力側)に取り入っていることでもある。
1年後に暗殺されるオーストリア皇太子夫妻も店にやってくる。
それと対立しているのが、独立派の人々。
取り締まりやが強化され、スパイが暗躍し、街には不穏な空気が流れている。
イリスは兄がいることを知り、次に兄が両親の死に関わっていたことを知る。
どうやら両親は権力側、兄は独立側で対立があったらしい。
謎めいた人物が次から次へと登場し、イリスに「帰れ」「関わるな」と忠告したり、「カルマンの妹ならこっちへこい」などと連れ回す。
そして目の前で人が死んでいく。
どちら側が正しいかはわからない。
ただし、旧体制がサンセットを迎えていることは確かだ。

主人公イリスの目は終始大きく見開かれている。
そしてラスト、過去から現在の私たちへその眼差しは向けられる

受け身で映画を見ることに慣れてしまっている人は脱落するかもしれない。
歴史的背景も難しいかもしれない。
とはいえ非常に作家系が高いネメシュ監督の作風に、知的好奇心を呼び起こされる人もいるだろう。
そういった意味で、見る人を選ぶ作品だろう。

★★★☆


by mahaera | 2019-03-25 12:25 | 映画のはなし | Comments(0)

最新映画レビュー『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』スコットランド女王メアリーの生涯を描く


世界史好きで映画好きなら、ヘンリー8世からエリザベスまでのチューダー朝のドロドロした王室ものは大好物。
『1000日のアン』『わが命つきるとも』『エリザベス』『エリザベス:ゴールデンエイジ』『ブーリン家の姉妹』など数多くの映画になってきた。
さて、本作はその中でも、脇役として描かれることが多かったスコットランド女王メアリー・スチュワートを中心に描いた作品で、メアリーをシアーシャ・ローナン、エリザベスをマーゴット・ロビーが演じている。

イングランド国王ヘンリー8世は、生涯に6人の妻をとったが、うち2人を“姦通の罪”で処刑している。
2番目の妃となったアン・ブーリンが最初の犠牲者だ。
ヘンリーは彼女と結婚するために、最初の妻(レコンキスタを完成させたカトリック両王イサベルの末子)との間に男子が生まれなかったことから、結婚の無効を訴え、それがローマ法王に認められなかったことからイギリス国教会を成立させた男。
しかし、アンが生んだのは女子で、失望したヘンリーは次の女へと向かい、アンを処刑する。
そのアンの娘がエリサベスだ。
ヘンリーは6回結婚するが、結局生まれた男子はひとりだけ、しかも国王に即位して早死してしまう。
次には最初の妻キャサリンとの間に生まれたメアリー1世がイングランド女王となるが、彼女が死んでエリザベスに王位が巡ってきた。

一方、スコットランド女王メアリー(ヘンリー8世の姉の孫)は、若い頃はフランスの宮廷で暮らし、フランスの王子と結婚していた。夫が14歳で国王フランソワ2世になるが、16歳で病死。
18歳で未亡人となったメアリーは、王位が空いたスコットランドへと呼び戻される。
メアリーはカソリックだったが、スコットランドではプロテスタントの長老派が力を伸ばしており、反対も多かった。

偶然、ブリテン島の南北で女性君主が誕生する。
ふたりはライバルであるが、映画の中ではむしろ“共感”も描かれている。
16世紀はまだまだ男の時代。
君主だが、宮廷の男性たちには「政治はわからない」と軽んじられ、結婚して子供を産む以上の期待はされない。
男子を生まなければ、離婚、あるいは処刑もありの世界
そんなドロドロとした宮廷の陰謀の中を、うまく生き残らなければならない点では、同じ境遇なのだ。
そして自分が女王である限り、寄ってくる男は国内の者なら全て“格下”になり、結婚を利用するだけの男かもしれない。
未亡人であるメアリーがスコットランドで結婚したのは、見た目や人当たりはいいが、実は男に興味がありヘタレの貴族(暗殺される)、次は部下の貴族に強制されて。
一方、エリザベスは「男になる」として、生涯独身を通す(愛人は何人かいた)。

予告編ではエリサベスの出番が多いが、映画は8割がメアリーを軸に動く
波乱の生涯と悲しい死を迎えたメアリーだが、その生涯に悔いはなかったのではないか。
それを見つめるエリザベスは自分の生涯を犠牲にする代わりに、イングランドを強国にしたが、それで良かったのだろうかという自問する。

エリザベスは生涯独身だったので、彼女の死とともにチューダー朝の血統は途絶えた。代わりに王になったのは、メアリーの息子でスコットランド国王のジェームズ1世だった。メアリーは自分は国を追われて死んだが、息子はスコットランドばかりかイングランドの国王になった。
ということで、歴史劇や宮廷劇が好きな人には興味深いだろうが、それ以外の人にはどうなのかな。たとえば「大奥」とかを欧米人が見て面白いかどうなのかという感じで。
個人的にはもう少し深みが欲しかったなあ。
出てくる男は、基本的に嫌な奴ばかり(笑)

★★★


by mahaera | 2019-03-24 10:31 | 映画のはなし | Comments(0)